元公安警察官は見た 北方領土周辺で密漁した「レポ船」は旧ソ連に何を提供していたか

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 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、旧ソ連に情報を提供した日本の「レポ船」について聞いた。

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 日本の政治、外交、防衛などの情報を提供する見返りに、旧ソ連が実効支配している北方領土周辺海域で漁業を認めてもらっていた日本の漁船を「レポ船」という。名前の由来は「レポート(報告)」にある。

 第二次世界大戦後の1945年9月、千歳列島が旧ソ連の占領下に入り、北海道の漁師は広大な漁場を失った。

「日本の漁船が北方領土周辺で操業すると、旧ソ連の国境警備隊に拿捕され、国後島やカムチャッカ半島に連行。何年も刑務所に留置されることもありました」

 と解説するのは、勝丸氏。

自衛隊の配備状況

「身柄を拘束されるだけでなく、高額な罰金を支払わされるケースもありました。ところが、日本の情報などを提供し、旧ソ連の協力者になれば、見返りに北方領土周辺海域での操業を認めてくれたのです」

 旧ソ連は、どのような情報を欲しがったのか。

「一番喜ばれたのは、北海道に駐留している自衛隊の配備状況に関する情報です。新聞などに自衛隊の演習の記事があれば、提供していたそうです」

 最新の電子機器を提供すれば、さらに喜ばれたという。

「冷戦時代の旧ソ連の電子機器は粗悪品が多く、当時の日本のテープレコーダーなどは大変な貴重品だったのです」

 初めてレポ船の船長が検挙されたのは1974年12月。第11幸与丸の船長が1972年5月、択捉島沖合で操業中、横付けした旧ソ連国境警備隊の警備艇に対して、旧ソ連領海での安全操業の見返りに、沖縄返還(1972年5月15日)に関する新聞記事を提供した。

 以降、1974年11月まで国境警備隊と11回接触し、北方墓参団名簿、北海道に駐留する自衛隊の情報などを提供したという。

 結局、船長には北方領土周辺海域で操業したことで検疫法、漁業法違反で罰金5万円の判決が下った。

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