なぜ人は「人事」に心を奪われてしまうのか 友達関係ですら「隠れた人事権」を持つ者が(古市憲寿)

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 今年、37歳になった。同世代が「おじさん」になったと感じるのは、嬉しそうに人事の話をし始めた時だ。

 ある30代の学者と会議で一緒になった時、彼は人事のことばかりを気にしていた。自分が関係する官庁の人事、政治家の人事、所属する大学の人事。結局、専門家としての話はほとんど披露せず、人事だけを気にして彼は帰っていった。

 組織人としては正しい態度なのかもしれない。学者とはいえ、研究費の獲得や、しかるべきポジションを得るためには、人事情報に目を配る必要があるのだろう。

 サラリーマンなり公務員なり大学教授なり、組織の一員として働く人は、必然的に人事のレースに参加させられる。「自分は関係ない」と思えればいいが、次の上司が誰になるのか、同僚の昇進のタイミングはいつかなど、人事に全く無関心でいるのは難しい。

 トップ目線で考えた時、人心掌握の基本は人事ということになる。人間を動かすには、お金で釣ったり、価値観で洗脳をしたりとさまざまあるが、中でも人事は有効な方法だ。誰も閑職には飛ばされたくないし、重要な役職を任されればいい気分になる。

 友達関係でも、「隠れた人事権」が重要だったりする。もちろん会社組織と違って体系立った人事制度があるわけではないが、「もっとあの人に声をかけよう」とか「あの人は呼ばないでおこう」とか、コミュニティーに誰を参加させ、排除するかには緩やかな緊張関係がある。

 誰の言葉が影響力を持っているのかを観察していると面白い。正面から断言しなくても、「隠れた人事権」を発揮している人物がいるはずだ。仕事の場でも、「隠れた人事権」の影響力は無視できない。役職としては高いわけではないのに、空気を作ったり、議論を誘導するのに長けた人物が一定数いる。

 最も人事を気にするのは政治家だろう。紀元前3世紀に書かれた「韓非子」でも、君主がどのように臣下をコントロールすべきかが熱心に説明されている。

 しかしコロナ時代には奇妙な現象が起きていた。柳沢高志さんの『孤独の宰相』の記述を信じるならば、総理大臣よりも新型コロナウイルス感染症対策分科会の「専門家」が権力を持ってしまった時期があるようだ。

 2021年夏、菅義偉前総理は、オリンピックの有観客での開催にこだわっていた。しかし専門家は緊急事態宣言を出すことにこだわり、無観客開催を勧めてきた。菅前総理は「絶対に押し切れない」とこぼしていたそうだ(『孤独の宰相』を読むと、菅さんが馬鹿ばかりの中で孤軍奮闘していたことがわかる)。

 権力は腐敗しやすいという。元々は善意だったはずの専門家も、総理大臣以上の発言権を有したことに、味を占めたりしていないだろうか。もちろん当人たちは否定するだろう。だが権力者を目指す人が後を絶たないように、その立場でしか抱けない独特の快楽がある。特定の人物が権力を独占し続けないために役立つのもまた、人事権である。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年2月3日号掲載

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