「東京03」メンバー3人は役者との二刀流 島田紳助との歴史的騒動をおさめた明石家さんま

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 お笑いトリオ「東京03」のライブを観るのは簡単ではない。チケットがいつも即完になるからだ。コロナ前の2019年の全国ツアーは3万人以上を動員。テレビのレギュラー番組も現在3本ある。その上、メンバーの3人全員が役者としても活躍。誰もが認める成功を収めている。だが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。歴史的騒動もあった。

 東京03は「アルファルファ」というコンビを組んでいた飯塚悟志(48)と豊本明長(46)に、角田晃広(46)が加わって2003年に結成された。

 角田は2002年に活動を休止したトリオ「プラスドライバ―」に所属していた。活動休止時、お笑い界を離れることも考えたものの、飯塚に「一緒にやらない」と誘われ、その話に応じた。

 角田はお笑い番組をほとんど観ないで育ち、お笑い事務所が運営する養成所にも入らず、長渕剛(65)が熱狂的に好きな、芸人らしくない男だった。飯塚にはそれが魅力だった。人間的な面白さがあった。当時から飯塚は角田が役者としても成功すると確信していたという。

 グループ名の由来は「03年」に結成された「3人組」で、活動拠点である東京の電話番号の市外局番が「03」だから。目指したのは所属事務所・プロダクション人力舎の大先輩にあたる「シティボーイズ」(大竹まこと、きたろう、斉木しげる)だった。

 これに合点がゆく向きは多いのではないか。東京03の真骨頂はライブ。また3人のメンバーはそれぞれが役者としても活躍する。シティボーイズと一緒なのである。

 東京03は結成1年後の2004年には早くも単独ライブを成功させた。角田の加入効果は絶大だった。一見、普通の人っぽい角田が、醜い欲望や強いエゴ、小心者ぶりなどを見せると、客席は爆笑に包まれた。リーダ―でネタの全てを執筆する飯塚の狙い通りだった。

 一方、豊本は名バイプレイヤー。飯塚が書くネタに登場する多種多様なタイプの人物を巧みに演じた。飯塚や角田では難しい女性役もお手のものだった。

 東京03の頭脳である飯塚は2人へのツッコミ役。真っ当そうに見える人物を演じるものの、ちょくちょく暴走する。すると客席はやはり沸く。3人のうち誰か1人でも欠けていたら今の成功はなかっただろう。

 結成から3年後の2006年には、東京のお笑い事務所に所属する若手芸人の中からナンバ―ワンを選ぶ「お笑いホープ大賞」に輝く。2年後の2008年の大賞がナイツだから、東京03の評価がいかに早くから高かったのかが分かる。

ショートネタ流行、そして紳助事件

 だが、落とし穴が待っていた。2007年ごろからのショートネタの大流行だ。火付け役となった「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ)では芸人たちが1分程度のネタで競い合っていた。

 一方、東京03がテレビで見せるコントは3分から5分前後。ライブでは30分前後のネタもやる。3人のコントが周囲から浮いてしまった。

 力はあった。2009年9月、「第2回キングオブコント」(TBS)でサンドウィッチマンに競り勝ち、優勝する。「男女3人の大学同期生による旅行」などのネタを見せた。甘い評価は下さない審査員の松本人志(58)が「優勝は当然かな」と手放しで誉めた。ここから大躍進が始まると誰もが思った。

 ところが、翌10月に同じTBSの生番組「オールスター感謝祭」で歴史的騒動が起こる。司会の島田紳助氏(65、2011年8月、反社会勢力との接点の発覚などを理由に引退)が生放送中、出演者の東京03に向かって走り寄り、怒声を浴びせたのである。

 視聴者にも紳助氏が出演者席に突進し、スタジオ内がざわついたのは分かった。突進先が東京03らしいことも。だが、詳細は不明。番組側からの説明はなかった。

 後に判明したのは「東京03が生放送前に挨拶に来なかったので、紳助氏は不快感を抱いていた」ということ。だが、「挨拶なし」は伏線に過ぎない。紳助氏の怒りが決定的になったのは生放送中だった。

 元宮崎県知事の東国原英夫氏(64)がクイズに答えるコーナーでのこと。カメラが東京03を写す中で、女性アナウンサーがこんな問題を読み上げた。

「この方たちは先月行われた『第2回キングオブコント』の優勝者です。彼らのユニット名は『東京』なんでしょう?」

 この問題が騒動のトリガ―となる。東国原氏が東京03を本当に知らなかったのか、とぼけたのか、クビを捻っていたところ、紳助氏が「絶対知らんて。オレも知らんねん」と不機嫌そうに言った。その後も「知らんて」を連発した。

 これに出演者席の飯塚が「あんまり言わないでくださいよ、知らないって」と口を挟んだ。角田も怒りのポーズを見せた。そりゃそうだろう。「知らん」を繰り返されて愉快な人はいない。

 だが、紳助氏は2人の反応にカチンと来たらしい。再び「オレが知らんのだから、知るわけないよ」と語気を強めた。結局、東国原氏の答えは「東京コミックショー」。全くウケなかった。紳助氏が東京03に走り寄ったのはそれから間もなくのことである。

 約100人の出演者たちはぼう然とするばかり。唯一、体を張って紳助氏を止めたのは吉本興業の先輩・西川きよし(75)である。さすがは人格者として知られる大ベテランだった。

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