”白いロマンスカー”は引退も… 効率だけじゃない「小田急電鉄」の哲学

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駅舎をめぐる哲学も

 ロマンスカーという車両ばかりに注目が集まるが、小田急の哲学は駅舎建築からも読み取ることができる。

 小田急の前身となる小田原急行は、1927年に新宿駅−小田原駅間の約83キロメートルを一気に開業させた。開業当初、小田急は稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)駅、新原町田(現・町田)駅、相模厚木(現・本厚木)駅、大秦野(現・秦野)駅、新松田駅を5大停車場に定めた。

 小田急は5大停車場を魅力的な駅とするため、駅舎デザインに総力を注いでいる。5大停車場の駅舎は腰折屋根と称される独特な形状でデザインされた。これは西洋建築の技法を参考にしたものだが、小田急の社史や広報誌は同形状の屋根をマンサードと記している。

 厳密には、同形状の屋根はマンサードではなくギャンブレルと呼ばれる。

 マンサードとギャンブレルは明確に異なるのだが、なぜ小田急はギャンブレル屋根をマンサード屋根と呼んでいるのか?

「なぜ、公式的にマンサードと表現するようになったのかは不明です。以前から建築家の方々から『あれはマンサードではなく、ギャンブレルではないか?』というご指摘をいただいていました。そうした指摘を踏まえながらも、今のところは従来のままマンサードという表現にしています」(同)

 担当者も理由がわからないマンサードの謎だが、だからと言ってマンサードと形容することが明らかな誤りとは言い難い。

 建築史を紐解くと、技術の向上によって明治後期から建築物は少しずつ高層化した。当時、すでに木造建築でも3階建ては技術的に可能になっていた。それでも、耐震性・耐火性といった安全上の観点から木造3階建ては厳しく制限された。

 しかし、家と店を兼用する自営業者たちにとって、2階建てより床面積が増える3階建ての方がいいに決まっている。そこで屋根に丸みをもたせることで屋根裏を広くし、物置として活用する手法が暗黙の了解となっていった。

 脱法的ともいえる丸みを帯びた屋根だったが、当局は「3階建てではない」ということから黙認。というよりも、現場では半ば積極的に推奨していた。

 当時、内務省下にあった警察が建築行政の取り締まりを担当していたが、商店主を指導・監督したのは現場の警察官。いわゆる、おまわりさんたちが建築の取り締まりをしていたわけだが、おまわりさんが西洋建築の知識を有しているはずがない。おまわりさんたちは屋根に丸みをもたせる建物のことをマンサードと認識し、「3階建てではなく、マンサードで建てろ」と商店主たちを指導・監督した。

 商店主たちは警察官に従い、「マンサードなら実質的に3階建てが許される」と認識。こうした事情から、本来ならギャンブレルとされる屋根がマンサードと誤認されて広まっていったと考えられる。

 5大停車場の駅舎が昭和初年に設計・施工されたことを鑑みれば、おまわりさんたちが繰り返した「マンサード」の影響を受けたことは想像に難くない。つまり、向ヶ丘遊園駅の駅舎は、日本版マンサードとも小田急独自の進化を遂げたともいえる歴史遺産なのだ。

 その後も建築技術は飛躍的に進化し、建物はどんどん高層化していく。現在、主要駅には駅ビルが併設され、商業施設・公共施設が入居するのは当たり前になった。

 駅構内もしくは併設の駅ビルに多くの店舗を揃えれば賃貸収入は増える。少しでも賃貸収入を増やそうとするなら、建物の延べ床面積を増やすことが手っ取り早い。こうして駅舎や駅ビルは高層化していく。

 高層建築は、風の影響を受けにくい陸屋根が採用される。陸屋根とは勾配のない平面状の屋根をいうが、デザインとして特徴を出しにくい。高層化と陸屋根の採用、それが駅舎の個性を奪っていった。

 この潮流は、当然ながら小田急にも押し寄せる。5大停車場の駅舎は歳月とともに老朽化し、改築を迫られる。現在、5大停車場でマンサード駅舎が残るのは向ヶ丘遊園駅だけになっている。

 向ヶ丘遊園駅も老朽化により更新を余儀なくされた。2019年に南口駅舎を、2020年に北口駅舎をリニューアルしたが、小田急は伝統のマンサード駅舎を残した。

 公共交通という役割を課されているとはいえ、民間の鉄道事業者が利益を無視しては事業を継続できない。

 オリジナリティが溢れる特急車両は、汎用性の高い一般車両よりも製造コストがかさむ。意匠に凝った駅舎も設計費や維持・管理コストが重い負担になる。

 車両・駅舎にコストをかけて見栄えをよくしても、利用者が劇的に増えるわけではない。車両に求められる役割は、安全かつ迅速に、そして大量に人を運ぶことだ。駅舎に求められる機能も、わかりやすい動線や利便性だろう。

 意匠と経済性を天秤にかけたとき、多くの鉄道事業者は経営上の観点から経済性を選択するだろう。小田急も、それを完全に無視することはできない。それでも小田急は車両や駅舎にこだわってきた。

 コロナ禍によって、観光客需要は喪失した。通勤需要もテレワークの推進や沿線人口の減少で伸び悩んでいる。そうした要因により、鉄道事業者はコスト意識がシビアになり、ゆえに駅舎や車両の意匠にまでコストをかけられなくなっている。仕方がないことなのかもしれない。

 VSEの引退発表はファンを落胆させることになったが、それでもロマンスカーは現役で4タイプが走り、マンサードの駅舎も残った。小田急独自の哲学を感じさせる。

 こうした小田急の姿勢が、鉄道ファンのみならず鉄道に関心が薄い一般利用者を虜にする要因なのかもしれない。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

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