シャンパン2本盗んで逮捕された元巨人「ドラ2投手」、高校時代は150キロ投げる“伝説の左腕”だった

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力んで制球力を失う

 小野は引退後、職を転々としていたが2017年、健康器具の会社に入社。人材開発課で元アスリートのセカンドキャリアサポートや大学生の就職支援活動を行っていた。

 同社のホームページには彼が2020年9月に書いた第109回「大きな夢・目標を持つ事の重要性」というタイトルのコラムが記載されている。

《私は現在、主に大学生と関わり、彼らの就職支援を行っていて、職歴ももうすぐ3年が経とうとしています。(中略)野球部を中心に大学訪問していますが、学生に夢や目標は?と聞いても6~8割の学生からは明確な返答が得られません。》

《野球で培い、磨いてきた非認知能力(協調性・継続性・自制心・礼儀・感謝する心)を今後の人生のために生かせられるように、そして野球人が社会に出て活躍できるように頑張っていきたいと思います。》

 事件を起こす2カ月前、2021年9月13日には、こんなコラムも書いている。

《社会人時代、プロアマ戦で野村ヤクルトと対戦することが結構ありました。そのときに楽しみにしていたのは、野村監督の「相手評」です。
 記者の方が「相手の小野はどうでしたか?」と聞くと、野村さんが私について感想を述べ、それが紙面に載る。だいたい「素材は良いが、まだまだ荒削り。細かいことはなんもできとらん!」と厳しい言葉ばかりでしたが、なぜか嬉しかったものです。》

 もっとも、秋にはこの会社も退職した。事件を起こした時は無職だった。

 先の鈴木氏はいう。

「小野は高校時代、剛速球投手でした。当時としては150キロ以上を投げる高校生はまだ珍しく、私もプロで活躍出来ると思いました。今でも思い出すのは、彼が高校2年の秋の東北大会です。準決勝で東北高のエースと延長16回まで投げ合い、0対1でサヨナラ負けでしたが、東北の投手は19奪三振に対して小野は24奪三振を記録、“伝説の投手戦”として語り継がれています」

 なぜ、プロで通用しなかったのか。

「150キロの速球を観客に見せたいという意識があって、力んでしまうことがよくありました。それで制球力を失ってしまうのです。高校2年の秋からキャプテンを務め、野球部員を引っ張っていました。明るい性格で、よく練習をこなしていましたが、なぜあんな事件を起こしたのか、まったく理解できません」

デイリー新潮編集部

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