名将・小嶺忠敏さんの功績 指導者としての原点は「焼山に行ってこい」

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温和な表情

 そして国見高を率いて3年目、86年度の第65回大会で初出場を果たすと、決勝まで勝ち上がった。翌87年度に初優勝を飾ると、21年連続出場で優勝6回、準優勝3回の偉業を達成した。

 育てた選手には、高木琢也(相模原監督)、三浦淳宏(神戸監督)、永井秀樹(前東京V監督)、大久保嘉人、平山相太(仙台大コーチ)ら日本を代表するFWも多い。永井氏は大分県大分市、大久保氏は福岡県北九州市から「ダンプ先生」の指導を受けるため国見高の門を叩き、全国制覇という夢を達成した。

 高校サッカーを現場で取材することはほとんどない。このため小嶺監督と直接話をしたのは06年ドイツW杯で、日本の初戦が行われたカイザースラウテルン中央駅のホームで偶然お会いした時が最後だった。

 小嶺監督と、鹿児島実業高(選手権優勝2回、準優勝3回。OBに城彰二氏、遠藤保仁、松井大輔ら)の松澤隆司監督(17年8月に逝去、奇しくも76歳だった)という高校サッカー界の重鎮であり、監督としてよきライバルである2人との遭遇だった。

 小嶺監督の柔和な表情と、年下の記者にも敬語で話される謙虚さに、いつも恐縮したものだ。

 高校サッカーに人生のほとんどを捧げ、100回という節目の高校選手権で監督という現役のままで天寿を全うされた「ダンプ先生」。心からご冥福をお祈りします。

六川亨(ろくかわ・とおる)
1957年、東京都生まれ。法政大学卒。「サッカーダイジェスト」の記者・編集長としてW杯、EURO、南米選手権などを取材。その後「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。

デイリー新潮編集部

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