元公安警察官は見た 「ボガチョンコフ事件」で評価された公安捜査員の恐るべき“尾行術”

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懲役10月の実刑判決

 所轄署の警察官が捜査に協力することもあったという。

「2000年5月、公安がボガチョンコフを監視対象にしているのを知っていた麻布警察署の警察官から、彼の車が南麻布の路上で駐車していると外事1課に通報がありました。捜査員が車の近くの店を徹底的に調べたところ、居酒屋で三佐と食事しているところを確認しました」

 外事1課は、これ以上2人を泳がせておくと防衛省の重要な資料が流出する恐れがあるとして、2000年9月7日、三佐の逮捕に踏み切った。

「浜松町のバーで2人は落ち合い、ビールとジントニックを注文。その直後、店内にいた14人の男女がいきなり立ち上がり、『警視庁公安部です。事情聴取に応じて下さい』と言った時、店内は騒然となったそうです」

 三佐は警視庁に連行され、翌日に逮捕された。ボガチョンコフは「ウィーン条約で外交官は保護されている」と言って事情聴取を拒否、店から立ち去った。そして9日、報道陣が見守る中、成田からロシアへ帰国した。

 三佐は、ボガチョンコフに秘密扱いの幹部教育用教本「戦術概説」と通信体制の将来像をまとめた冊子「将来の海上自衛隊通信のあり方・中間成果」のコピー、さらに防衛研究所の組織図など数十点を手渡していた。その謝礼など総額58万円の現金を受け取っていた。

 2001年3月、東京地裁は三佐に対し、懲役10月の実刑判決を下した。

「ボガチョンコフが公安の尾行に気づかなかったのは、捜査員が必ずしも彼の背後にいるとは限らなかったからでしょう。尾行は5、6人のチームで行いますが、後ろにいるのは短時間です。先回りをして、ボガチョンコフが来るのを待機することもあります。彼が車で店へ向かう時は、捜査員は車とバイクで尾行しました。歩行での尾行と同様に、ボガチョンコフの後ろに付くことはほとんどありません。彼がどちらへ向かったか別の捜査員と連係を取りながら、先回りするのです」

 公安警察の尾行は、なぜ評価が高いのか。

「日本にはスパイ防止法がないため、別件で現行犯逮捕するしかありません。そのため尾行術に磨きがかかるということでしょう」

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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