元公安警察官は見た 「ボガチョンコフ事件」で評価された公安捜査員の恐るべき“尾行術”

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絶賛される公安の尾行

「公安警察の尾行は、CIAもFBIからも絶賛されています。『気配を消して追ってくる』と。言わば、職人芸のようなものです」

 ボガチョンコフがロシア大使館に着任したのは1997年9月。2年後の99年9月、横須賀市で開かれた海上自衛隊とロシア海軍の交流式に参加。通訳を務めていた海自の三佐と、そこで出会った。

 三佐は、1986年に防衛大学校を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦や補給艦の航海長などを務めた後、1998年から防衛大学校の総合安全保障研究科(大学院)に所属し、ロシア海軍の研究を行っていた。ロシア語も堪能だったという。

「ボガチョンコフはGRUの諜報員と見られていましたから、彼と接触する日本人は公安の監視対象となります。海自とロシア海軍の交流会の後、2人は9月末に六本木の寿司屋で食事をしています」

 三佐には息子がいたが、白血病を患っていた。

「ボガチョンコフは三佐の息子への見舞金として15万円渡しています。三佐が息子を助けたい一心で新興宗教に入信した時も同行して、一緒に祈っています。息子が亡くなった時には香典13万円を渡し、一緒に涙を流したそうです。このため三佐は、ボガチョンコフと一緒に過ごす時は安らぎを感じたといいます」

 2人は、1999年9月以後、月に1、2回のペースで計15回会食していた。そのうち、外事1課が尾行、監視を行ったのは12回だったという。

「ボガチョンコフは、三佐と会う時は尾行されていないか必ず『点検』していました。店に向かう途中で何度も振り返ってまわりを見ていたのです。尾行されてないと安心したのか、店の中では三佐から渡された資料を堂々と広げて見ていたそうです」

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