なぜ皇室崩壊の危機は訪れたか 「開かれすぎた皇室」が招いた眞子さんの結婚トラブル

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 平成終盤から皇室を揺るがした眞子さんと小室圭さんの結婚問題。皇族の「公と私」から国民との距離まで、多くの懸案が浮き彫りとなった4年間だった。皇室に未曾有の危機を招いた騒動はなぜ起きたのか。その起源ともいうべき「開かれた皇室」の実態を検証する。

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 新天地に渡ったお二人が残した爪痕は、日々メディアを賑わせてきたトラブルよりはるかに深く、重い。戦後、皇室が営々と築き上げてきた国民との信頼関係を、いとも無造作に瓦解させてしまったことで、巷にはお二人のみならず秋篠宮家、ひいては皇室そのものへの畏れを知らない批判の声まで上がる始末だった。

 その一方、こうした事態は起こるべくして起きたといえる。それはすなわち、昭和から平成、令和へと至る過程で皇室と国民との距離が“不適切に縮まった”ことの帰結なのではなかろうか――。

 ここであらためて、4年に及んだ問題を振り返っておく。初めて小室圭さんの名が世に知れ渡ったのは2017年5月。NHKが「眞子さま 同級生とご婚約へ」と報じたことで、にわかに時の人となったのである。

 当初「海の王子」「インターナショナルスクール卒」「UCLA留学」といった経歴も手伝って世間は喝采し、同年9月の婚約内定会見ではお互いを「月と太陽」に例えて話題に。秋篠宮ご夫妻も「非常に真面目な印象」「(小室さんの)優しいピアノの音色を聴きながら心和むひとときを過ごした」などとたたえておられたのだった。

金銭トラブルの発覚と婚約延期

 が、その年末、小室さんの母親が元婚約者との間に400万円を超す金銭トラブルを抱えていることが発覚。それまでも父親の自死や新興宗教との関わりは報じられてきており、婚約が揺らぐほどの騒ぎには至らなかったのだが、年が明け、18年初頭から各メディアがこのトラブルをこぞって報じた。世間は好奇の目を向け、「皇族の結婚相手としてふさわしいのか」といった論調も盛んになってきた。

 慌てた宮内庁は2月初旬、ひと月後に控えていた「納采の儀」(一般の結納)を目前に「婚約延期」を発表。これにより11月の帝国ホテルでの挙式も吹き飛び、騒動はいっそう肥大化していったのだった。

 その後の経過はご存知の通り。小室さんは米国留学を決め、8月に渡米。21年9月にはおよそ3年ぶりに帰国し、10月には入籍を果たした。会見の場でお二人は国民を「結婚を応援してくれる人」とそれ以外の人に分断するかのような発言をし、あらためて物議を醸したのである。

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