キヤノン「御手洗冨士夫」は二足の草鞋で失敗 3度目の社長復帰も次のなり手がいないという惨状

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晩節を汚した冨士夫

 事件の概要はこうだ。鹿島は2003(平成15)年以降、大分市にあるキヤノンの子会社から大分工場の造成・建設工事や、神奈川県川崎市のキヤノン研究所施設工事を総額850億円で受注した。大賀は、これら事業を鹿島が受注できるように仲介した見返りに、大光などグループ3社を受け皿に34億円の資金を受け取っていたというのである。

 これら脱税資金を元手に、大賀は親族名義などで約30億円相当のキヤノン株式を購入していた。

 大賀が莫大な裏金を手にできたのは、「日本経団連会長の御手洗冨士夫・キヤノン会長の後ろ盾があったからだ」と噂された。

 冨士夫と大賀は「長年の友人」(地元大分の経済人)だった。「冨士夫の叔父でキャノン創業者の毅と大賀の父親は無二の親友で、親の代からの知り合いだった。冨士夫と大賀は佐伯鶴城高校の同級生で、冨士夫の親友だったのが大賀の兄。弟も幼い頃から知っていた」(前出の地元経済人)との証言がある。

 御手洗家と大賀家は家族ぐるみのつきあいを続けてきた。冨士夫がキヤノン社長に就任してからは、大賀は公私両面で関係を深めた。大光の関連会社の受注はキヤノン関連が多かった。

 私生活でも、冨士夫のためにゴルフ場の手配、送迎車の手配から、「冨士夫が所有する私有地を駐車場として管理することまでやってきた」(同)。大賀の通り名は、冨士夫の“私設秘書”だった。

 大賀は周囲に「御手洗会長がバックにいるから仕事ができるんだ」と吹聴していた。長年の友人が、自分の名前を使ってキヤノンの工事を仲介して莫大な裏金を手にしていたというのに、冨士夫は「一切、関与していない」と強く否定した。

 経済界のリーダーとしては、お粗末だと評判を落とした。キヤノンを高収益企業に育て、経営者として評価が高かった御手洗冨士夫は晩節を汚した。

「隣町の人物を再び起用」

 御手洗冨士夫は経団連会長を2期4年務め、2010(平成22)年に退任した。リーマン・ショックやタイの洪水被害により、キヤノンは業績不振に陥り、12年3月に内田が社長を退任。冨士夫がキヤノン社長に復帰し、会長と社長を兼務した。

 だが、株主の反応は厳しかった。13年3月に開催された定時株主総会で、冨士夫の再任の反対票が3割近くに達した。前年は9割以上の賛成があったから、賛成率が7割にとどまったことは、かなりの株主が冨士夫の社長復帰に反対したということだ。自信家の冨士夫にとってショッキングな出来事であった。

 再登板後の2016(平成28)年3月、第9代社長に真栄田雅也が就任し、冨士夫は会長専任に戻った。真栄田は九州大学工学部卒のカメラ技術者。大分県佐伯市と県境を挟んだ隣町の宮崎県延岡市の出身だ。真栄田を社長にしたことについても「同郷の人物をまたまた起用した」と揶揄された。

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