チャーリー浜さんのマイペース人生 「ごめんくさい」のギャグが生まれたきっかけ【2021年墓碑銘】

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「あの面白い人は誰?」

 テレビコマーシャルがきっかけで一躍人気者になったチャーリー浜さんのギャグは、「何々じゃあ~りませんか」などとぼけた持ち味が魅力。笑いの世界でも私生活でも「自然体」だったというチャーリーさんを偲ぶ。

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 七三分けの髪形に黒縁眼鏡、ネクタイ姿がトレードマーク。吉本新喜劇のチャーリー浜さん(本名・西岡正雄)が、全国で大受けしたのは1990年のことだ。

 サントリーの栄養スナック「ポケメシ」のテレビコマーシャルに浜さんは、おやつをほおばるOLの上司役で登場、「ポケメシじゃあ~りませんか」とお馴染みのギャグを使ったセリフを口に。関西以外では見慣れぬ顔で「あの面白い人は誰?」と一躍、人気者となったのだ。当時48歳、デビューから30年ほどが経っていた。

 長年にわたり縁が深かった放送作家の大河内通弘さんは振り返る。

「関西人にはお約束のギャグが東京でも火がついて、本人も反響に驚いていましたね。“何々じゃあ~りませんか”は、あの頃もう20年ぐらい使っていたのです」

 翌91年、「何々じゃあ~りませんか」は、「新語・流行語大賞」の年間大賞に選ばれ、浜さんは時代を象徴する顔になる。

「個人の人気を超え、全国的な新喜劇ブームの火付け役にもなった功労者です」

 と、演芸評論家の相羽秋夫さんは思い出す。

「80年代に入り吉本は漫才ブームに沸く一方、新喜劇は伸び悩み、80年代末には若者ファンの増加と全国進出を目標にテコ入れを始めます。失敗すれば新喜劇の廃止も辞さない覚悟でしたが、あのコマーシャル一本で浜さんが予期せぬ注目を集め、そこから新喜劇への関心がどっと広がったのです」

苦しんだガス中毒の後遺症

 42年、大阪生まれ。生家は履物問屋を営んでいた。高校卒業後、作家の花登筐(はなとこばこ)さんが主宰の劇団「笑いの王国」入り。大村崑さんにそっくりと注目された。人気コメディアンの花紀京さんに鍛えられ、62年、吉本興業へ。

 ところが、ほどなく災厄に見舞われる。放送作家の保志学さんによると、

「自宅で酒を飲みながら食事中に、コンロにつないだガス管に足を引っかけてしまう。ガスが漏れているのに寝込んだせいで中毒に。入院で済んだものの、しばらく後遺症に苦しんだ。脳がやられてると真顔で話してくれました」

 命を失いかけたのに酒をやめない。「ごめんください」を、二日酔いで呂律が回らず「ごめんくさい」と言い間違うが、客は大爆笑。これが最初のギャグとなる。「何々じゃあ~りませんか」「君たちがいて、僕がいる」「いずこへ」などとぼけたギャグが持ち味だった。

「普通の話し言葉に抑揚をつけただけのようでいてリズム感が絶妙で真似できない。ギャグというより、体から自然と出ている言葉で、舞台のいろいろな場面で使えると話していました」(保志さん)

 ベテラン脇役の立ち位置は、コマーシャル出演で一変したが、

「全国区の有名人になっても浮かれずこれを機にのし上がろうともしない。笑いを狙うのは嫌で、相変わらず力まず、自然な流れに任せていた」(大河内さん)

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