年俸1億「小林」、5500万「大城」、1600万「岸田」…巨人の来季“正捕手争い”はどうなる【柴田勲のセブンアイズ】

  • ブックマーク

Advertisement

「お前にもチャンスがあるぞ」

 この二人の刺激剤として期待されるのが岸田だろう。100万円増の年俸1600万円(推定)でサインした。今季は27試合に出場して打率.182、本塁打0、打点は2だった。同時に背番号が「38」から「27」へと変わった。楽天に移籍した炭谷銀仁朗が付けていた番号だが、巨人では前出の森さんが1955年から74年まで背負っていた。他球団でも多くの名捕手が背負っている。

 巨人は岸田に、「お前にもチャンスがあるぞ」と伝えている。これまで3番手捕手として「1軍ベンチ入り」を経験してきた。刺激剤以上の存在になることを期待している。

 私の推しである大城が正捕手の座をつかむためにはもっともっと打撃を磨くことだ。打率が2割5、6分で本塁打12本~15本、いや2割8分、15本以上打ったらまずは安泰だろう。阿部慎之助(現作戦コーチ兼ディフェンスチーフ)の最高年俸は6億円だったが、リード面はもちろん、あの打撃での素晴らしい実績があればこそだった。代えられることはなかったし必要もなかった。

仕事は「叱られ役」

 それにしても捕手の仕事は「叱られ役」だと思うね。投手が打たれると、「なぜ、あんなところに投げさせた」とか、「もっとうまくリードをしろっ」とか叱られる。森さんもよく川上さんに叱られていた。投手にも責任はあるのだが、投手は面と向かって叱りにくい。投手が叱られたシーンを見たことがない。だから「女房役」と言うのだろう。もっとも、森さんは右の耳から左の耳だったようだが。

 来季、巨人の捕手は大城が突き進むのか、小林が底力を発揮するのか、岸田の急成長があるのか。大いに注目だ。

 巨人のV9時代を投手として支えた倉田誠氏が亡くなった。私と同じ神奈川県の高校出身で2歳年下だった。最後に会ったのは義理の兄弟である高橋一三氏の葬儀(2015年)の場だった。77年にヤクルトに移籍し80年に引退して巨人のフロントに復帰した。非常にまじめで広報などを歴任した。巨人のOB会でも世話になった。後輩が亡くなるのはイヤだし寂しい。

 故人のご冥福を心からお祈りします。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。