ハンク・アーロン 後楽園球場で実現した王貞治との本塁打競争 直接対決の結果は?【2021年墓碑銘】

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一本足打法にちなんだフラミンゴの剥製

 75年、ブルワーズへ移籍。本塁打の記録を755本に伸ばし、翌76年で現役引退。23年間に3298試合に出場。20年連続で20本塁打以上はメジャー唯一。本塁打だけで評価されるのを嫌がった。2297打点は現在でも歴代1位だ。3771安打は歴代3位。年間30以上の盗塁を記録したことも。万能タイプを自負した。

 引退した翌年、77年に王氏がアーロン氏の本塁打記録を抜き世界一に。日本は球場が狭い、そもそも野球のレベルが違う、とアメリカの見方は冷ややかだった。アーロン氏は王氏を心から祝福、一本足打法にちなみフラミンゴの剥製を贈った。

 交友は深まり、ふたりは財団を設立して世界少年野球大会を90年から開催。80歳を超えても2015年、千葉での大会に参加した。

 メジャーでも自身の最多本塁打記録が破られる日が来ることを期待していた。07年に抜いたのは、薬物使用疑惑がつきまとうバリー・ボンズ選手。アーロン氏は複雑な感情をにじませた。

 1月22日、86歳で逝去。

 就任したばかりのジョー・バイデン大統領からも丁重な弔意が示された。王氏も「メジャーリーグの選手のかがみだった」などと盟友の他界を悼んでいる。

デイリー新潮編集部

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