ラソーダ監督 野茂英雄を息子と呼び、日本のマスコミから守った熱血漢【2021年墓碑銘】

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マイナー選手のみで五輪金

 野茂氏の活躍でラソーダ氏は日本でも一躍時の人に。

 日本初のメジャーリーガーである村上雅則氏は言う。

「60年代から全然変わらない。野球一筋、気さくで心が温かい。チームの選手を知り尽くしていました」

 誇りに思った野茂氏との関係もしかし1年半余りの短い間だった。96年に心臓発作を起こし、シーズン途中で21年間にわたり続けてきたドジャース監督を勇退。

 2000年のシドニー五輪ではアメリカ代表の監督に。マイナーの選手のみで編成されたチームで金メダルを獲得した。

「勝利を目標に寄せ集めの選手を短期間で高めた。乗せ上手のラソーダ氏だからできた偉業です」(福島氏)

 昨年10月、自身が監督を務めていた88年以来、32年ぶりとなるドジャースのワールドシリーズ制覇を球場で見届けた。その翌月に心臓疾患で入院。1月7日、心臓発作のため93歳で逝去。

 90年代初めに長男を病気で亡くしている。野茂投手やマイク・ピアザ捕手の溌剌とした姿に救われていたのかもしれない。

デイリー新潮編集部

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