球史に残る3つの「大失敗トレード」…巨人は1イニングで“8000万円超”という桁外れの大損

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 トレードはチームの弱点を補うとともに、“新たな血”の導入によってチームに刺激をもたらす効用もあるが、時には思惑が外れ、大失敗に終わることもある。ましてや、獲得した選手が期待どおり働かなかったのに、放出した選手が移籍先で大活躍するという皮肉なめぐり合わせは、ファンにとっても痛恨の極みだ。戦力アップを狙ったはずが、金銭的にも戦力的にも“大赤字”。そんな球史に残る大失敗トレードを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

たった1年でダイエーに移籍

 大失敗トレードとして真っ先に名前が挙がるのが、1992年オフの阪神である。同年、ヤクルトに2ゲーム差の2位で惜しくも優勝を逃した阪神は、チーム防御率は12球団トップの2.90ながら、チーム打率.250はリーグ5位、チーム本塁打数も12球団ワーストの86本と低迷。8年ぶりV実現のためにも、トレードによる打線強化が急務となった。

“虎の救世主”に浮上したのは、オリックス・松永浩美だった。中村勝広監督は「足は衰えているかもしれないが、左右で打てるのと、ホームランを打てるのは魅力だ」と3番構想を打ち出すとともに、“松永効果”で新庄剛志、亀山努の“若虎コンビ”のさらなる成長も期待した。

 そして、松永と交換でオリックスに移籍したのは、24歳の右腕・野田浩司だった。同年8勝9敗、防御率2.98の成績を残した野田は「今年は自分でもひと皮むけたと思います。来年は勝負の年」と真のエースを目指していたが、突然のトレード通告に「まさか自分が……」と絶句した。

 ファンの間でも「松永獲得は阪神にとって得だ」「野田の穴は大き過ぎる」など賛否両論に分かれたが、中村監督はチーム防御率が3.50程度にダウンしても、松永加入後の「4点を取れる打線」で十分お釣りが来ると踏んでいた。

 ところが、「優勝のために全力を尽くす」と誓った松永は、開幕早々戦線離脱するなど、相次ぐ故障で80試合出場にとどまり、本塁打も8本と大誤算。オリックス移籍1年目に17勝5敗で最多勝に輝いた野田と大きく明暗を分けた。

 それだけならまだしも、シーズン終了後、松永は同年から導入されたFA権を行使し、たった1年でダイエーに移籍してしまう。翌年にFAを控えた選手を獲得したのは、明らかに球団側の調査不足。ファンは「野田をタダ獲りされた」とボヤきにボヤいた。その後も阪神は、オリックスから石嶺和彦、山沖之彦、星野伸之をFA入団させたが、いずれも失敗に終わっている。

球団の黒歴史となる大型トレード

 阪神といえば、90年オフに行った史上最多の4対5の大型トレードも、球団の黒歴史となる“大失敗トレード”として語り継がれている。就任1年目の同年、意識的にトレードを行わず、現有戦力でシーズンに臨んだ中村監督は、最下位という結果に、「やはり、チームを活性化するためには、どんどんトレードをやるべきだ」と大鉈を振るう決心をした。

 補強ポイントはバッテリーの強化で、5年間不振のエース・池田親興を交換要員に15勝クラスの投手の獲得に動いた。この商談に応じたのが、球界参入2年目のダイエーだった。前年から池田の譲渡を希望していたダイエーは、センターライン強化目的から大野久も欲しがった。大野は和田豊とともに1、2番を打っていたが、阪神は新核弾頭候補としてロッテ・高橋慶彦の獲得にも動いていたので、支障はなかった。

 かくして、池田、大野、岩切英司、渡真利克則と藤本修二、西川佳明、近田豊年、吉田博之、右田雅彦の4対5のトレードが実現。86年から3年連続二桁勝利を記録した藤本修二は「けがさえなければ15勝」と期待され、西川も貴重な左腕として出番が増えると思われた。だが、藤本、西川ともに阪神では1勝も挙げられないまま退団。他の3人も活躍できず、前出の高橋も含めて補強は、まさかの大失敗に終わった。

 これに対し、ダイエー移籍組は、池田がリリーフに転向し、2年連続二桁セーブを挙げるなど見事復活。大野も1年目に盗塁王を獲得し、「何で放出しんたんや」と虎党を悔しがらせた。大鉈を振るったからといって、必ずしも好結果が出るとは限らないことがわかる。

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