事業承継サイトで跡継ぎなき会社を救う――大山敬義(バトンズ社長兼CEO)【佐藤優の頂上対決】

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ネットで会社を買う

佐藤 バトンズはどんな経緯で生まれたのですか。

大山 私はもともとM&Aの業界で仕事をしてきたんですね。ちょうどバブルの頃なんですが、会計事務所に勤めていた時、クライアントに後継ぎのいない会社が増えてきた。息子や娘が継がないから、誰か別の方が継いでくれるといいのだけど、という話がよく聞かれるようになったんです。

佐藤 会計事務所のお世話になるくらいだから、それなりの規模の会社ですね。

大山 そうでもありません。年商1億円未満の小さな会社が多かったですよ。会社がなくなればクライアントもなくなります。ですから、同じ問題を抱える会計事務所が100社くらい集まり、後継ぎを見つける会社を共同で作ることになったんです。その要員として、なぜだか私に白羽の矢が立った。

佐藤 それが日本M&Aセンターになるんですね。

大山 いまでこそ日本M&Aセンターは、上場もして時価総額が1兆円を超える大会社になりましたが、当時は3人で始めました。いまの会長、社長と私です。ただ会社が発展していくうちに、そもそもの発端である年商1億円とか数千万円程度の会社の後継者探しはできなくなっていったんですね。人員を割くにしてもコストにしても見合わない。M&Aには2千万円くらい費用がかかるので、小さいと頼めない。

佐藤 メガバンクが、中小企業の仕事をしないのと同じですね。そこは、地元の信用金庫の出番となる。

大山 ただM&Aの場合、小さな仕事だけやる会社を作るのも難しいんです。これまでのM&Aは、人が相手を探していたんですね。私も若い頃は、日本中を何十カ所も回って相手を探しました。だから非常にコストと手間がかかる。

佐藤 小さな会社だと、そもそも仕事として成り立たないわけですね。

大山 そうです。それでアメリカではどうやっているのかと思って、現地に行って調べてみたんです。そうしたら、まずビジネスブローカーという人たちが何万人もいて、各地で相談に乗っていた。

佐藤 ブローカーというと、日本では間に入ってマージンを抜くだけであまりいいイメージがありませんが、本来、ロシア語でも英語でも中立的な言葉です。

大山 たいていは弁護士でしたね。それでどう相手を探すかと聞いたら、「ネットに決まってるだろう」と言う。もう会社の売買をネットでやっていたんですね。ものすごく衝撃を受けました。それが12年前のことで、帰国して日本M&Aセンターの中にこのバトンズの前身となる事業部を作ったのが始まりです。

佐藤 以前、このコーナーに大和ハウス工業の社長に出ていただいたのですが、コロナで営業に回れないなら、ネットでやればいいという声が出てきた。社長としては、ネットで家なんか売れないだろう、と思っていたら、どんどん売れたそうです。

大山 家も会社もネットで買う時代になった。ものすごく価値観が変わりましたね。

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