オレは空気が読めない…菅原文太が映画界の重鎮を激怒させた“二大事件”
文太が逃げた映画
日下部が吐露したような「のぼせ」もあったかもしれないが、その前後の文太の行動を見ると、「仁義なき戦い」でのイメージがつきすぎてしまうのを嫌ったのではないかと思わせる節もある。
ともあれ、「北陸代理戦争」(深作欣二監督)は松方弘樹主演で撮影され、幾多のトラブルを乗り越えて上映された。興行的には成功とは言えないものの、日下部は「東映実録路線最後の傑作だった」と評価している。同時に、文太が逃げた映画という思いも残った。
6年後の83年、宮尾登美子の小説が原作となった「陽暉楼」(五社英雄監督)をプロデュースしたとき、脚本を読んだ仲代達也が「この女衒役は、自分にはできない」と断ってきた。五社監督はすぐさま「文太を出してほしい」と頼んできたが、日下部は応じなかった。
《前の一件があるので意固地になっていて、文太を避けて、緒形拳で行くことにした。これはプロデューサーの心理としては当然である(中略)私がひがんでいたのである。「なぜ、あのとき、俺を無視したんだ」と》(日下部五朗『健さんと文太 映画プロデューサーの仕事論』光文社新書)
もし日下部が、「鬼龍院花子の生涯」や、この後も続く文芸路線「序の舞」(中島貞夫監督)、「櫂」(五社英雄監督)などに文太をキャスティングしていたら、その後の文太の俳優人生に別な展開があったのではないだろうか。「不器用」という言葉は高倉健の専売特許のように思われているが、文太の生き方もまた、相当に不器用である。
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