オレは空気が読めない…菅原文太が映画界の重鎮を激怒させた“二大事件”

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「恩義もへったくれもなかったな」

 もう一人、文太が怒らせたのは、岡田の腹心・日下部五朗である。

 日下部は「緋牡丹博徒」「仁義なき戦い」「極道の妻たち」などの各シリーズ、「山口組三代目」(山下耕作監督)、「鬼龍院花子の生涯」(五社英雄監督)、さらにはカンヌ映画祭でパルムドール受賞の「楢山節考」(今村昌平監督)などを手掛けて大ヒットさせた名物プロデューサーだ。

 1977年、日下部は「新仁義なき戦い」シリーズの4作目として、高田宏治脚本の「北陸代理戦争」を企画していた。主役には菅原文太を予定しており、プロデュースは日下部の先輩にあたる橋本慶一に頼んだ。だが、クランクイン間近になって、文太が出演を渋っているという連絡が入る。そこで日下部は出演交渉をするため、橋本と共に文太が宿泊している熱海の旅館へ出向いた。日下部がこう振り返る。

「あのときの文ちゃんには、恩義もへったくれもなかったな」

 宴会で大騒ぎしている文太を、日下部は待ち続けた。

「待たされている間に腸が煮えくり返ってきた。星桃次郎という新しい当たり役を得たスターの余裕だったんだろうが」

「別れるきっかけになった」

 結局、文太は現れず、日下部は橋本とヤケ酒を飲むことになった。

「これまで一緒に仕事をしてきたプロデューサーを無視したのは、『トラック野郎』の成功でのぼせ上がっていたこともあるね」

 日下部は著作の中で、このときの文太の気持ちを分析している。

《コンチクショウと思いはしたものの(中略)顔を合わせてしまうと、わたしへの〈仁義〉から断りにくくなる、という心理はわかることはわかる》(日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮文庫)

 理解はできても、日下部にとってはこの件が遺恨となり、文太をキャスティングする意欲が失せた。

「あれが文ちゃんと別れるきっかけになった」

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