立川談志の長男が語る父の意外な素顔 「ハチャメチャな一方、根は純粋で真っすぐ」

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「根は純粋で真っすぐな人」

 談志が17歳の時に書いた日記も出版されたが、そこからは意外な姿に触れることができたという。

「あれを読んで純粋で正直な父の姿を知ることができた。生前はハチャメチャな面もあったけれど、絶対にウソはつきませんでした。屈折した人間に見えたところもあるかもしれませんが、根は純粋で真っすぐな人。だからこそ、多くの支持を集めたのだと思います」

 昭和41年には、いまも続く演芸番組「笑点」を立ち上げながら、3年で降板。5年後の参議院選挙に出馬・当選し、昭和50年に三木武夫内閣で沖縄開発政務次官に抜擢された。ところがそれも長くは続かず、僅か36日間で辞任に追い込まれた。当時は激しい批判を浴びたが、息子にとってはどんな父親だったのか。

「中学生の時、山下達郎さんのコンサートに行きたくて、チケットの入手を頼んだら“俺が取ってやる”と約束してくれましてね。ところが実際には手に入れられなかった。それでコンサートの当日、自分の名刺の裏に“うちの倅です。入れてやって下さい。立川談志”と書いて“これを持っていけ”と渡すんです。さすがに行きはしませんでしたが、思えば達郎さんは落語がお好きですから、もしかしたら本当に入れてもらえたかもしれません。試してみればよかったですね」

 自身は落語家の道を進まなかったものの、父の偉業を世に伝えることも“遺志”を継ぐことだと実感しているそうだ。

週刊新潮 2021年12月2日号掲載

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