「水道のない町」北海道・東川町のスタイリッシュな魅力とは(古市憲寿)

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 2年ほど前のことだ。中国の成都へ行った帰り、飛行機の隣の席に長身の男性が乗り込んできた。ほとんど手ぶらで、黒ずくめの服は全体的にくたびれている。スーツのビジネスマンとは違う、独特の雰囲気だ。

 現地の人かと思っていたら、いきなり柄谷行人の新刊を読み始めた。見かけによらずインテリらしい。しばらくすると白ワインを一気に飲み干し、すぐに爆睡してしまった。その旅慣れた雰囲気に、大人のバックパッカーなのだろうかとか、想像が巡る。

 成田空港に着いて、搭乗橋を歩いていると、ふと気が付いた。どうも、その後ろ姿に見覚えがあるのだ。向こうも、こちらを気にしているように思えた。もしかしてと思って、残間里江子さんに連絡すると、その男性が隈研吾さんだということがわかった。

 世界的建築家である。最近では、新国立競技場や角川武蔵野ミュージアムを設計したことで有名だが、本当に身一つでどこにでも行ってしまう人らしい。

 その隈研吾さんに誘われて、北海道の東川町へ行ってきた。隈さんたちが始めた「地球のOS書き換えプロジェクト」のイベントに呼ばれたのだ。国内の日帰りなので、隈さんは本当に手ぶらだった。相変わらず全身黒ずくめで、怪しい雰囲気を漂わせている。

 東川は面白い町だった。旭川空港から車で10分という便利な場所にあるのだが、国道・鉄道・水道がない、というのが特徴。地下水として染みこんだ大雪山の雪解け水を利用するので、上水道が必要ないのだ。

 興味深いことに人口が増え続けている。1994年には7千人を切っていたのが、2021年には8400人を超えた。たった「1400人」ではある。しかし同じ北海道の夕張市を見てみると、1994年に約1万9千人だった人口は、2021年10月には7120人まで減少し、東川町と逆転してしまった。

 一見してスタイリッシュな町だった。1985年から「写真の町」を掲げていて、昔から「映え」を意識してきた。景観法を活用し、住居を含めて、町並みは整然としている。週末には、旭川市からカフェ巡りに来る観光客も多いという。

 この「整然」というのが難しい。よくあるのは有名建築家に箱物だけ作ってもらって、うまく活用できない事例。先月、妹島和世さんらが設計した金沢21世紀美術館へ行ったら、通路に資材は置きっぱなし、散らかった事務スペースが外から丸見えという有様だった。

 東川町で印象的だったのは、役場の職員が能動的だったことだ。「お金を出すだけで後は知らない」という駄目な公務員とは一線を画している。隈さんにも響くものがあったらしく、隈研吾事務所のサテライトオフィスを建設中だという。

 帰りの飛行機、隈さんは手ぶらで羽田に着くと、別のシンポジウムへ向かっていった。そして翌日は午前中に大阪、午後に香川の父母ヶ浜へ行くのだという。黒ずくめの身なりが、タフさの象徴のようで、格好よく思えてきた。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年11月25日号掲載

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