即刻2軍落ちのイチロー、江夏豊、今岡誠…監督に干された男たちの“数奇な運命”

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「何で痛風なの?」

 監督との確執から現役最終年を2軍のまま終えたのが、江夏豊だ。1984年、江夏は日本ハムから西武に移籍した。当初、広岡達朗監督は「彼はプロの中のプロ。ウチの選手にはプロ意識が欠けているが、江夏だけはしっかりとしたものを持っている」と高く評価していた。5月13日の近鉄戦で救援に失敗したときも「江夏は打たれていない。計算して打たせた球を(遊撃手が)捕ってないんですよ」と擁護した。

 そんな両者の関係にひびが入ったとされるのが、5月の関西遠征中。江夏の著書「左腕の誇り-江夏豊自伝」(新潮文庫)によれば、球団幹部を招いての朝食会の席で、広岡監督が推進する自然食メニューを食べているときに、江夏は「監督はこんな玄米を食って、何で痛風なの?」と尋ねた。悪気はなく、素朴な疑問を口にしただけだったが、座がシーンと静まり返ったという。

 以来、関係が悪化したというのだが、広岡監督は5月26日の阪急戦で四球から崩れた江夏を「情けないね」と突き放すなど、確かにこの時期を境に態度が変わったように見える。

「もう話題にせんでいいでしょう」

 その後、江夏は吐血し、7月23日に入院。急性胃粘膜炎と診断された。すると、広岡監督は「ひっくり返ったら1時間で医師のところに運んでいかなければいけないというのでは、怖くて使えませんよ」とプロ18年目で初めての2軍落ちを通告した。

 さらに、退院後の江夏が8月25日、2軍戦の試合前にフリー打撃で登板すると、広岡監督は「もう話題にせんでいいでしょう」と事実上シーズン中の1軍復帰を封印。2軍監督も「お前は可哀相な男だ。1軍に上がる打診が一度もないぞ」と同情した。

 通算200セーブまであと7に迫り、1000試合登板という目標もあった江夏だったが、「こんな世界ならもういいや」と引退を決意した。球団主催の引退試合も行われないなか、翌85年春、36歳にしてブルワーズのキャンプに参加し、アメリカンドリーム挑戦という形で投手人生にケジメをつけたのも、江夏らしい。

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