即刻2軍落ちのイチロー、江夏豊、今岡誠…監督に干された男たちの“数奇な運命”

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「好きにやったらええ」

 阪神時代の野村克也監督と反りが合わず、不遇をかこったのが、今岡誠だ。ドラフト1位で阪神に入団した今岡は、2年目の98年に打率.293をマークし、遊撃手のレギュラーになった。

 だが、翌年に就任した野村監督は、ミーティングで一切メモを取ろうとしない態度や捕れないと判断した打球を追わないことなどに不満を抱き、「やる気があるのか、ないのかわからん」、「チームのことを考えず、自分の打率しか計算していないのと違うか?」などと口撃した。今岡の奮起を促そうとしたのだが、これが裏目に出てしまう。

 本人に言わず、マスコミを通じて批判が繰り返されることに不信感を抱いた今岡は「僕は『こんな選手を使っているから阪神は弱いんだ』という典型例としての扱いでした」(『感じるままに生きてきて』ベースボールマガジン社)と心を閉ざしてしまう。そして、野村監督にことごとく反発した。

 この結果、同年は成績も急降下。2000年は2軍落ちの悲哀も味わい、40試合出場に終わった。そんな今岡を「お前は何も気にせんで、好きにやったらええ」と励ましたのが、岡田彰布2軍監督だった。

 その言葉に救われた今岡は、星野仙一監督時代の03年に首位打者を獲得し、18年ぶりのセ・リーグ制覇に貢献。岡田監督時代の05年にも、打点王で再びV戦士となり、恩返しをはたした。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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