「土砂降りの中でも職質検挙」 職務質問〈永世名人〉〈神〉が見せた実力

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職務質問で逮捕されたミュージシャン

 10月22日、ヒップホップグループ「電波少女」のメンバーが大麻リキッド所持の疑いで逮捕された。メンバーのニックネームが「ハシシ」というあたりは、あまりにも容疑にピッタリなのだが、疑われたきっかけはそこではなくて、警察官の職務質問だったという。一人で車を運転していた容疑者の挙動に不審を抱いた警察官が声をかけ、逮捕に至ったというわけだ。

 一部で反発を買うこともあるとはいえ、これは職務質問に十分な存在意義があることを示した一件といえるだろう。

 それにしてもなぜ警察官は、犯罪のにおいを嗅ぎとり、声をかけることができるのか。

 元警察官の作家、古野まほろ氏は、かつて警察庁の職務質問担当課で勤務した経験があり、また警察大学校で職務質問担当部門の教授を務めたことがあるという経歴の持ち主。最近、こうした経験も踏まえて、その名もズバリ『職務質問』という新書を上梓したばかりの古野氏に、職務質問の「技能」について聞いてみた。

 街中で日常的に見かける職務質問は、警察の内部では重要な技能だと位置づけられているという。そのため技能を磨きぬいた中には、恐ろしいほどの「目」を持つ「神」のような存在もいるとか――。

 その神業の話の前に、技能の伝承について解説してもらおう。

「警察では、適切な指導者を計画的に育成・運用・拡充し、地域警察官個々に職務質問のスキルを伝承してゆくことを〈職務質問技能伝承〉と公的・組織的に位置付け、警察庁の局長通達を発出して、全国警察共通の制度としています。

 この技能の指導者のことを〈職務質問技能指導者〉といいます。そしてこの指導者はI~IVの4つのレベルに分かれます。数字が大きいほうがスキルのレベルは上がります。詳しくは表を見ていただきたいのですが、IIIのレベルの警察官であっても、ふさわしい者が県内にはいない、ということがあり得ます。ましてやIVは、技能的にも栄誉的にも『破格』の存在なので、県内に一人もいなくても普通です。

 Iのレベルの警察官でも、平均的な警察官より卓越した技能を有していることが多いのですが、IIのレベルの警察官となるといわば〈段位持ち〉、IIIの技能指導官がいわば〈A級棋士〉、IVの広域技能指導官ともなれば、〈永世名人〉果ては〈神〉です」

職務質問の〈神〉の凄いエピソード

 いくらなんでも〈永世名人〉〈神〉は大袈裟では……と感じる方もいらっしゃるだろう。しかし、仕事柄この〈神〉たちと接したこともある古野さんは、その凄さを物語る次のようなエピソードを披露してくれた。

「IVの広域技能指導官は、自県全域はもとより、他の都道府県警察にも出向いて指導をすることがあります。普段勤めているのとはまるで別の土地ですから、時には自分の県警に敵意のようなものを抱いている県警もあるでしょう。しかし、そのようなアウェイにおいても、実際に職務質問による検挙(職質検挙)を必ず果たしてしまう、そんな技能を持っているのが〈永世名人〉〈神〉です。

 そうした警察官については、こんな逸話を聞いたことがあります。

 私がお仕えしていた、警察庁の職務質問担当課長(警視長)が、『職質の実際を見て学びたい』『技能伝承制度を構築する上で、技能とその伝承の実際を見たい』といった理由で、ある〈永世名人〉に頼み込んで、実際の職質場面を遠くから見せてもらうことにしました。

 それだけでもかなりの無理難題なのですが、しかもその警視長が現場にいられるのはわずか1時間だけ。

 しかも視察当日は、土砂降りだったそうです。これは職質警察官にとっては良いコンディションではありません。警察官の視界が限られ、職質相手は傘に隠れ、そもそも出歩く人も減りますから……」

 この時は、さすがの〈永世名人〉も、「せめて2時間くれれば絶対に検挙できるのになあ」などと感じていたらしい。

「ところが、〈永世名人〉は淡々と普段通りの警らを実施し続けた結果、なんとリミットの1時間以内に、覚醒剤の職質検挙を果たしたのです。見ていた警視長というのは、会社でいえば社長クラスの偉い人ですから、それだけでも大変なプレッシャーです。しかも先ほど申し上げた通り、天候は最悪。

 もちろんヤラセで犯人を用意するなどということは論外ですし、不可能です。検挙というからには、検察官と裁判官のチェックを受けるわけですから、デッチ上げは不可能です。

 このように、悪条件の中でも、見事に1時間以内で覚醒剤を狩り出した。IVの広域技能指導官とはそういう実力の持ち主で、だからこそ〈永世名人〉〈神〉と呼ぶにふさわしいのです」

 警察内部では、こうした指導者を頂点にした技能伝承のシステムが構築されているというわけだ。冒頭で触れた事件に限らず、職質検挙の背景には、この技能伝承が多いに貢献しているのだろう。

古野まほろ
東京大学法学部卒業。リヨン第三大学法学部修士課程修了。学位授与機構より学士(文学)。警察庁I種警察官として警察署、警察本部、海外、警察庁等で勤務し、警察大学校主任教授にて退官。警察官僚として法学書の著書多数。作家として有栖川有栖・綾辻行人両氏に師事、小説の著書多数。

デイリー新潮編集部

2021年11月17日掲載

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