ビッグボス「新庄」に背番号1を預けた「斎藤佑樹氏」の素顔 球宴での“事件”など苦労が生んだ「神対応」

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日本ハムに多大な貢献

 日本のプロ野球界は“ビッグボス・フィーバー”に沸いている。日本ハムの新指揮官に就任した新庄剛志氏(49)を巡る動きだ。早速、沖縄・国頭の秋季キャンプを視察するなど「ビッグボス」の一挙一動にプロ野球ファン以外の人たちも釘付けとなっている。そんな新庄監督の背番号は日本ハムの現役時と同じ「1」。今季までその「1」を背負い、新庄監督と入れ替わるようにして11年間のプロ生活にピリオドを打ったのが、元右腕の斎藤佑樹氏(33)だった。

 プロの世界では満足な結果を残せなかったとはいえ新庄監督と同様、プロ野球ファン以外の人たちからも注目を集め、グッズ売り上げや集客向上などの面で日本ハムに多大な“功績”を残したことは疑う余地がない。

 2006年夏の甲子園大会決勝戦で早実のエースとして駒大苫小牧・田中将大(現・楽天、33)と再試合を含め2試合を投げ合い、勝利して優勝。「ハンカチ王子」のニックネームがつくことになった伝説の2試合は今も語り草だ。ここから斎藤氏は早大へ進学し、数々の記録を塗り替えながら名門野球部のエースとして活躍を続け、2010年秋のドラフトで4球団競合の末に交渉権を得た日本ハムへ入団した。

散見された誹謗中傷の中で

 こうした入団前までの輝かしい経歴とは裏腹に、プロでの11年は芳しいものではなかった。結果が出ていない中で何らかの力や忖度が働き、引退が“先送り”されているのではないかと、斎藤氏は現役の晩年、激しいバッシングの嵐にさらされたこともあった。

 特にSNSやネット上では「自分の立場を勘違いしている」「いつまでもスター気取りになっている」「性格も悪い」「イヤなヤツ」などと見るに堪えないような誹謗中傷も散見されていた。実際、プロ野球選手としての斎藤氏の「素顔」はどうだったのか――。

 日本ハム担当のスポーツ紙記者によると、

「愚直なぐらいの真人間。メディア対応もお手本のようにこなしてくれていた。自身に対してネガティブな記事を掲載していたはずの週刊誌や夕刊紙からの取材も基本的に嫌な顔をせず応じ、苦笑いしながら『あまりヘンなこと書かないでくださいよ』と釘を刺したかと思えば『でもまあ、僕なんかは悪い話をネタにしないと原稿にならないですよね』と自虐的な言葉を発したりすることもありましたしね。コロナ禍前までは仲のいい番記者たちを食事に誘うことも珍しいケースではなく、気さくな一面もみられたぐらい」

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