ヨーロッパの王室離脱劇に見る「王族の条件」 平民と結婚した事例の顛末、求められる覚悟とは?

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 王族の結婚が一大騒動になったのは、日本だけではない。数々の王室が残るヨーロッパでは、数十年前まで何人もの王族が、身分違いの結婚で王位継承権を剥奪されたり、王家を追われている。そこから王室はどう変わったのか。そして元王族とはどんな関係を築いてきたのか。

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 古今東西歴史のなかには王侯の座を追われたものたちが大勢いる。「王侯」などという存在ははるか昔の物語などと思ってはいけない。第2次世界大戦後のアジアやアフリカでも、エジプト、イラク、リビア、エチオピア、イランなど、皇帝や国王たちが革命やクーデターによって玉座を追われた。21世紀になってからも、ネパールで王制が倒されたのは読者のご記憶にも新しいのではないか。

 しかしこれらの事例はすべて、主には政治的な理由によって追い出された王様たちの物語である。これ以外にも、儀礼や規律の厳しいヨーロッパ王室では、「結婚」によってその地位を追われた人々も大勢いた。

 現代において最も有名な事例は、英国王エドワード8世(在位1936年1月~12月)が離婚歴のあるアメリカ出身の女性ウォリスと不倫の末に退位したものであろう。日本では「王冠をかけた恋」などと呼ばれ、世紀の大恋愛のように報じられたものである。

 しかしその実、エドワードの退位は「究極の無責任」ともいうべき事件であり、退位の翌年に結婚したふたりには苛酷な試練が待ち受けていた。第1次世界大戦を機にハプスブルクやロマノフといった帝室が次々と姿を消した当時にあっては、英国王室はヨーロッパ社交界の頂点にあり、そこから追い出されたふたりに近づこうとするものなどいなかった。

 こうした隙をついてエドワード夫妻にすり寄ってきたのが、かのアドルフ・ヒトラーのドイツ第三帝国だった。ヒトラー総統は、ベルリンを訪れた夫妻をまるで本物の「国王夫妻」であるかのように国賓待遇で大歓迎し、ふたりは有頂天になった。しかしそれは欧米各国からのふたりに対する視線をさらに厳しくしただけにすぎず、そのヒトラーが巻き起こした第2次世界大戦後に、エドワード夫妻はパリ郊外で静かな余生を過ごす以外になかった。

 ふたりは時折、英国王室の行事がおこなわれるときに帰国を許されたが、人生の大半はパリ郊外の屋敷にとどまっていた。エドワードは1972年に、ウォリスは86年にそれぞれ長寿を全うし、ふたりはいまではウィンザーの墓地に静かに眠っている。

 ウォリスの死から32年後の2018年5月に、そのウィンザーの王室チャペルで華やかな結婚式を挙げたのが、エドワードの姪にあたるエリザベス2世女王の孫ヘンリー王子であった。しかしそれからわずか2年後、ヘンリーとメーガン妃は突如、英国王室から離脱し、アメリカ大陸へと渡ってしまった。アメリカでは一時的に「時の人」としてもてはやされたふたりだが、イギリス国民の怒りは収まっていない。このふたりも、かつてのエドワード夫妻のように、しばらくは英国に戻ることはできない様子である。

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