天皇に「強いおわび」を要求した「盧泰愚元大統領」死去、無期懲役判決などで国家葬には強い反対の声が

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裕福ではない家の出で医学部を目指した

 10月26日、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領が入院先の病院で88歳の人生に幕を閉じた。葬儀は国家葬と決定され、実際に30日に執り行われたのだが、与野党双方からその扱いには批判の声が挙がっていた。彼の功績とともに、現地在住・羽田真代氏が振り返る。

 韓国最後の軍人出身大統領である盧泰愚氏は、日本統治時代の大邱(テグ/韓国第3の拠点都市)の出身で、2人兄弟の長男として誕生。決して裕福な家庭で育ったわけではなく、幼少期には金銭面で苦労もしたそうだ。また、中学生の時には当時流行していたマラリアにかかって生死の境をさまよったこともあるという。

 1年にもわたる闘病生活を乗り越え、地元の名門高校へ。医学部を目指す秀才で、朝鮮戦争勃発後には競争率の激しい陸軍士官学校にも優秀な成績で入学している。

 その陸軍士官学校で畏友・全斗煥(チョン・ドファン)元大統領と出会い、共に朴正熙(パク・チョンヒ)からの寵愛を受けて軍人としての人生を歩むことになる。余談だが、盧泰愚元大統領が死去した10月26日は朴正熙元大統領の命日でもある。これも何かの縁なのだろうか……。

韓国内で評価されるポイントは?

 軍事独裁政権が終わった後に大統領に就任した盧泰愚氏は1990年に来日し、明仁天皇(現:上皇)と会談した。盧泰愚氏は日本に対し「強いおわび」を要求。明仁天皇は「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じ得ません」とのお言葉を述べられている。

 当時、韓国側は日韓にまつわる過去の歴史問題を「これ以上蒸し返さない」とし、明仁天皇に訪韓を招請したが、慰安婦問題などが浮上し、天皇訪韓は今に至るまで実現していない。その一方で歴史問題は蒸し返されるばかりで、日韓関係は史上最悪の状態と評されるまでに悪化の一途をたどってきたのはすでに報じられる通りだ。

 盧泰愚氏は1988年2月25日から1993年2月24日までの在任中、ソウル五輪を成功に導き、ソ連(現:ロシア)、中国との国交正常化や北朝鮮との南北国連同時加盟(1991年)を果たすなどしている。こうした実績について、韓国内で彼を評価する国民は少なくない。

 1990年、大韓航空機爆破事件の実行犯であった金賢姫(キム・ヒョンヒ)死刑囚に対し特赦の決定を下したのも彼だった。北朝鮮による日本人拉致被害者が帰国することになった要因のひとつに、この特赦と金賢姫氏による供述があったことは明らかだから、日本にとってもプラスの遺産を残した面があると言えるかもしれない。

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