不正経理のリーク元と疑われ、論文不正の嫌疑もかけられた元教授が明かす「京大霊長類研究所」騒動のてん末(前編)

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最大の業績2つとは?

 サル学という学問が本格的に始動したのは、第二次世界大戦後まもなく大分県の高崎山で、野生のニホンザルを餌づけし、一頭一頭に名前をつけて観察することに成功したことに始まるとされている。

 ただそれは、霊長研ができるかなり以前のこと。では霊長研での半世紀あまりの歴史のなかで、最大の業績は何だったかと今振り返ってみると、ふたつが挙げられると思う。

 ひとつはインドに生息するハヌマンラングールというサルでの子殺しの発見。もうひとつは、屋久島での餌づけしない、まったく野生のニホンザルの詳細な研究である。今日のように屋久島が著名な場所になる以前、1970年代のことである。

 前者はのちに研究所の所長にまでなった杉山幸丸氏、後者は大学院に在籍した丸橋珠樹氏の業績である。

 ここでその業績の中身を云々するつもりはない。ただ注目すべきことは、杉山氏がインドにおもむいてラングールの群れでは子殺しが、異常行動ではなく行われることを見出したのは大学院生として、単身、ほとんど徒手空拳でインドに滞在した末の成果であり、それは丸橋氏もしかり。

 つまり指導教官や先輩・同僚の援助や協力なしであったということだろう。それがサル学をめざす者の流儀だった。だから知見を公表した論文の著者としては、彼らの名前しか書かれていない。今日のようにプロジェクトとして、研究グループのメンバーがキンギョの糞のように名をつらねるのと大違いだ。

サル学のパイオニア

 大学院生の時代から、ひとりひとりが一国一城の主というのが霊長研の原則だった。これこそが日本のサル学をユニークなものにしてきた原動力であると、今振り返ってしみじみ思う。

 ただし光り輝く物にはかならず陰ができる。一国一城の主として生きていくには、それなりに強い性格でなければならない。主同士のせめぎあい、軋轢はどうしても激しいものになってしまう。対立する相手は、是が非でも研究所から放逐してしまえというようになっていく……。

 例えば、今年に物故した河合雅雄というサル学のパイオニアが研究所には長きにわたり君臨していた。彼は「サルの餌づけは日本のサル学のお家芸」と豪語してはばからない人物。そんな人にとって、純野生のサルを観察しますという自分の学生の存在が、面白かろうはずがない。

 教員と学生ばかりではない。教員同士の対立もすさまじいものがあった。しかも霊長研は教授・准(助)教授・助教(助手)は対等というのが、建前。フィールド研究をしているある助手の人など、同僚と顔を合わせるのが嫌

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