眞子さまがICUではなく学習院大に通われていたなら…日本人の皇室観の揺らぎと密接に関係する問題

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問われる“皇室観”

「大日本帝国憲法下で天皇陛下は、司法権、立法権、行政権という統治権を総攬(そうらん)すると位置づけられていました。当時の日本人は確固たる皇室観を持ち、“新しい皇室のあり方”が議論されたことなど一度もありません。皇族と華族は学習院に通うのが当たり前だったのです。ところが戦後、日本国憲法で新しい皇室がスタートしました。今では世論の多様化に伴い、“求められる皇室像”も国民によって大きく変わるようになりました」(同・神田氏)

 眞子さまは学習院大学に進学せず、ICUを選んだ。どちらも優秀な大学であるのは間違いない。単純な選択の問題だと考える向きもあるだろう。だが神田氏によると、そこには“皇室観の揺らぎ”が垣間見えるという。

「戦後の皇室を巡る法整備は、混乱期ということもありスピードを重視したのは否定できません。敗戦から70年以上が経過し、皇室典範などが制度疲労を起こしているのは明白です。『眞子さまはICUではなく学習院大学に通うべきではなかったのか』という疑問は、『令和の時代にどんな皇室がふさわしいのか』、『皇室の方々の“自由”をどこまで認めるか』、『皇族の“公と私”の問題をどう折り合いをつけていただくか』という大テーマと、実は密接に関わっているのです」

註1:ライブドアニュースにおけるタイトル。デイリー新潮のタイトルは「『私とお姉ちゃんは生まれた時から皇室しか知らない』 佳子さまが紀子さまとの口論で漏らした不満」

註2:「眞子さまはなぜ学習院大に進学されなかったのか? 秋篠宮さま時代からの“因縁”という声」(2021年6月8日)

デイリー新潮取材班

2021年10月25日掲載

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