眞子さまがICUではなく学習院大に通われていたなら…日本人の皇室観の揺らぎと密接に関係する問題

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原点から違う両大学

 眞子さまと小室さんは、ICUの同級生だった。もし眞子さまが学習院に進んでいれば、2人が出遭わなかった可能性は高い。

 だが、メディアが問題提起しているのは、単純な“歴史のイフ”ではない。

「論点は眞子さまを巡る“公と私”の問題です。ICUは私立大学における最難関校の1つで、徹底した欧米流のリベラルアーツ教育で知られています。東京都三鷹市に広大なキャンパスを持ち、留学生や帰国子女も多いことから、『まるでアメリカの名門大学が日本に引っ越してきたようだ』とよく言われます」(同・記者)

 ICUが非常に評価の高い大学であることは言うまでもない。だが、皇族が高等教育を受ける場となると、異論も出てくる。

「学習院の前身は1847(弘化4)年、京都御所に設立された学習所です。第12代将軍・徳川家慶(1793~1853)の治世でした。1884(明治17)年には宮内庁所轄の官立学校となり、敗戦まで皇族と華族の教育機関として機能してきました。ICUとは設立のきっかけも、その歴史も、大学としての社会的役割も、全く違います」(同・記者)

「個」の重視

 ICUは戦後の1949年、日本とアメリカのキリスト教関係者が主導して誕生した。学生がキリスト教信者である必要はないとはいえ、欧米の宗教的な思想や文化がバックボーンになっているのは間違いない。

 今回の結婚で眞子さまは、反対する国民の声に配慮されるより、「30歳までに結婚する」というご自身の考えを重視したと受け止められている。

 そうした問題意識を持ってICUの公式サイトを閲覧してみると、欧米流の「個」を重視した記述に気づく。

《多彩な教育観がカリキュラムに反映され、構成員の各人が、文化的差異を超え、独立した人間としての人格的出会いを経験します》

《ICUでは人間の個としての発達、および社会における個人の権利という問題が献学以来重視されてきました》

「1946年、私立大学として再スタートした学習院大学の学長には、上皇さま(87)の教育係を務めたこともある旧制一高の元校長で哲学者の安倍能成(1883~1966)が就任しました。その際、大学の特色として『国際的知識の養成、外国語の練熟と共に世界と国内との生きた現実の理解、さらに進んでは文化国家としての日本の遠大な理想たる東西文化の融合』を掲げました。国際性を重視している点はICUと同じですが、立ち位置はあくまで《日本》であり、目標は《東西の融合》なのです」(同・記者)

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