女子大生を1回4万円で買春していた「佐田玄一郎元大臣」の女子大生フェチ度【政治家の黒歴史04】

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群馬最大手の建設会社の御曹司

 佐田氏は群馬・前橋市生まれ。1979年、北海道大学工学部を卒業後、建設会社を経て、1990年の総選挙(群馬1区)で初当選。現在、当選8回、平成研(額賀派)の副会長を務めるベテラン代議士である。

「あの人は、かなり恵まれた家庭に育った。議員になれたのもそのおかげです」と話すのは、佐田氏を知る額賀派関係者。

「祖父は元参院議員の佐田一郎さんです。それになんと言っても群馬県内の建設最大手で、東証一部上場の佐田建設の御曹司だからね。昔は相当お金もあったでしょうし、サラブレッドと言われていました」

 国会議員になる前は、竹下登元首相の大蔵大臣時代に秘書官を務めていたそうだが、
「中選挙区時代、中曽根康弘さんと福田赴夫さんと戦い、何とか当選していた小渕恵三さんをずっと支援していたのが佐田建設でした。その御曹司を小渕さんが預かった。そして、佐田さんに箔を付けてやるため、小渕さんは自分ではなく、竹下蔵相の秘書官に押し込んだのです」(同)

 群馬1区は、同じ自民党の尾身幸次元財務相の地盤でもある。そのため、小選挙区と比例で交互に立候補するコスタリカ方式で選挙を戦ってきた。

「佐田さんは、2009年に民主党が大勝、政権交代を果した際は、比例で出た。あの時、小選挙区から出た尾身さんは落選。そういう意味では、佐田さんは運が良く、落選経験がありません。それゆえ、研鑽や努力を積んでいない。頼りないので陰では“佐田ボン”と呼ばれています」(同)

背広のポケットからあらぬものが

 安倍首相とも近く、06年の第1次安倍内閣では、行革担当相として初入閣を果したものの、

「就任早々、虚偽の政治資金収支報告書を出していたことが発覚し、辞任に追い込まれた。10年間にわたり、実態のない架空の事務所費を約7800万円計上し、恐らく裏金を作っていたというわけ。が、そもそも佐田建設から資金が送られていたはずですからね。佐田さんは、どういうカネの使い方をしているのやら」(同)

 議員としての功績は特になく、ただ当選回数が多いだけの人ということだが、永田町関係者は、こんな逸話を披露する。

「佐田さんが、議員会館で背広のポケットに入れていたハンカチを取り出そうとしたところ、一緒に避妊具が出てきたそうですよ。本人はバツが悪そうに、サッと隠したそうですが、そんなものを携帯しているということは、常に“臨戦態勢”ということですよね。女性が好きだという噂は永田町で割と広まっていることですが、奥さんと成人した息子2人の家庭があるのにね」

 さて、ホテルで逢瀬を楽しんだ相手は誰でどういった関係なのか。

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