甲子園予選で痛恨のエラー 岸田総理、勝利の原点は「開成高校野球部」の“弱者の兵法”

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甲子園の予選で痛恨のエラー

「彼は本当にひたむきで努力家。そこは誰もが認めるところです」

 そう語るのは、開成高校野球部時代、岸田総理と同級生だった会社役員の関根正裕氏である。

「野球部の合宿ではグラウンドから宿舎まで5キロほどの道のりをランニングして帰ることになっていました。部員によっては歩いたり、休んだりしてしまう中、彼は決してさぼらず、宿舎に着くと、マラソン選手のように倒れこんでいました」

 当時、岸田総理はショートかセカンドを守り、打順は2番を打つことが多かった。関根氏が今でも語り草になっているエピソードを披露する。

「2年生の夏季大会の東京都予選2回戦のことです。都立高と対戦した開成高校野球部は、6回表、8-1と大きくリードされ、セカンドを守っていた岸田に打球が飛んでくるとトンネルを許してしまい、さらに失点してしまった。その後、開成は1点もとれずに9-1で7回コールド負け。最後の失点が岸田のミスによるものでした」

 当時の朝日新聞によれば、件の試合は1974年(昭和49年)7月22日、神宮第一球場で行われている。開成野球部は四球を15個も与えてしまい、記事でも〈開成は投手陣の乱れが痛かった〉と厳しい指摘。エラーを喫した岸田総理は、

「その時に彼がどんな顔をしていたのかは忘れてしまいました。ただ、今でも野球部の連中と集まると、この話題が出るんです。岸田は決して不愉快な顔をせず笑って聞いている。本当にできたヤツですよ」(同)

 この時はただ「弱かった」だけの岸田総理。『弱くても勝てます』の著者、ノンフィクション作家の高橋秀実氏が言う。

「以前、総裁選に出馬するかどうか、煮え切らない態度を見せていた時に、開成OBの間で“あのことはもういいんじゃないか”と言われていました。岸田さんが甲子園の予選でエラーをしたらしく、彼はそのエラーを今でも悔いている。ずっと引きずっていてトラウマになっており、なかなか勝負に出られないんじゃないかというんですね。本当かどうかわかりませんが、OBの間でそのような話題になること自体、岸田さんの真面目な人柄を物語っていると思います」

助詞一つにもこだわるのが開成野球部のセオリー

 ツイートや会見を含めた岸田総理の「言葉」について、高橋氏は、

「岸田さんの中には開成高校野球部のセオリーが生きている。延長戦が続いているといってもいいんじゃないでしょうか」

 と言って、こう分析する。

「開成の野球部員は言葉の使い方に気を遣います。守備でも球が“来た”のか、“来る”のかと。球が“来た”と過去形で思うと球も過ぎ去り、取り損なう。“来る”と思えば、構える時間が生まれ、捕球する確率が上がる。岸田さんも就任直後の記者会見で『私、が、目指すのは』と「が」を強調したり、『多様性を尊重される』を『多様性が尊重される』と言い直していました。助詞へのこだわり。助詞ひとつで認識も大きく変わるというのが開成野球部のセオリーなんです」

 さらには、

「“全力で取り組みます”という紋切り型の言葉も全力とは何を指すのか、と原点に立ち返り、細部に至るまで正確に伝えようとする姿勢があるのだと思います。多くの政治家は大雑把な言葉で国民に希望を語ろうとします。しかし、開成野球部は正確な言葉、緻密なロジックの中から可能性、つまり希望を見出します。ちなみに開成のバッティングは球に当てるのではなく、球が当たる、と考えます。姿勢を崩さず、きちんと振り抜けば、おのずと球は当たる。経済政策もそうなんじゃないでしょうか」

週刊新潮 2021年10月14日号掲載

特集「“弱くても勝てます”『岸田文雄』研究」より

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