スイスの男女平等を阻んだものは「民主主義」だった? 「上からの強制」が果たす役割(古市憲寿)

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 スイスは女性参政権の導入が遅れた国の一つだ。国政では1971年、地方を含めた全土で実現したのは何と1990年のことだった。わずか三十数年前まで日本もびっくりの男女不平等の国だったのである。

 なぜここまで遅れたのか。興味深いことに「民主制が徹底しすぎていたから」というのが大きな理由らしい。何事も政府が一方的に決めるのではなく住民の意見が大事にされるスイス。女性参政権は住民投票でことごとく反対に遭ってきたのだ。

 ここに民主制の一つの限界が見て取れる。つまり既に「民」と認められた人にとって有利な決定ばかりがなされてしまうのだ。古くから続く直接民主制の好例として取り上げられるランツゲマインデ(青空議会)も、長らく女性を排することで成立していた。

 実は国家レベルの男女平等は、「上からの強制」で進むことが多い。たとえばルワンダは女性議員の活躍する国として有名だが、クオータ制の果たした役割は大きい。法律によって国会議員の一定数を女性に割り当ててきたのだ。

 今でこそ女子徴兵まで実施する男女平等国家ノルウェーも、かつては「専業主婦の国」と呼ばれるくらい性別役割分業が進んでいた。女性の政治参加が一気に進んだのは、やはりクオータ制によってだ。1970年代に各政党が選挙候補者のリストを男女同数にした。さらに2008年からは、上場企業の取締役会では、女性の割合を4割以上にしなければならない(結果的に、企業の業績悪化と非上場化が進んだという分析もある)。

 民主制は人類が生み出した叡智の一つだと思うが、「民」認定されていない人に対して冷淡だ。ほとんどの国は自国人と外国人に待遇格差を設けている。国家に言わせれば、必要なら帰化しろという理屈なのかもしれない。だが性別を変えることは、国籍取得よりも遥かに困難だ。その意味で、たとえ「上からの強制」でも男女平等は正当化されるだろう。

 同様の理屈で言えば、「未来の国民」への差別はどう考えるべきか。日本で選挙権を持つのは18歳以上である。17歳以下と、まだ生まれていない国民は、選挙で一票を投じることができない。

 スイスの男たちが女性参政権を認めなかったように、現代を生きる国民は未来の国民に冷淡になりがちだ。財政赤字、環境破壊など数十年、100年単位で未来に持ち越される問題は多い。その重要な決定を、18歳以上の国民だけに任せることは、いかに正当化されるのか。「未来人の人権」は守らなくていいのか。

 たとえば放射性廃棄物が生物に無害になるには約10万年かかるというが、未来人に「ここに捨ててもいいかい」などと聞くことはできない。1941年の日本人から「日米開戦してもいいかい」と聞かれないのと同じだ。過去に対しては「止めてよ」と言えないのに、責任だけは背負わされる。

 未来の皆さん、そっちはどうですか。僕らに怒ってないといいけれど。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年9月30日号掲載

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