ネット民には人気「河野太郎」 旧知の政治解説者が語る「デジタル的感性」の長所と短所

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デジタル型の太郎氏

 70年代の自民党が“金権政治”だったことなどを強く批判し、76年に自民党を離党して新自由クラブを立ち上げた。

 83年に自民党と新自由クラブが連立政権を組んだことなどを契機とし、86年には自民党に復党を果たす。93年に自民党が下野すると、総裁に就任した。

「洋平さんは翌年、自社さ連立政権の誕生に関わり、自民党を政権与党に復帰させました。しかし、首相になることはできなかった。1995年の総裁選では出馬を辞退したため、新たな総理総裁となったのは橋本龍太郎さん(1937~2006)でした」(同・篠原氏)

 2009年から12年まで総裁を務めた谷垣禎一氏(76)が登場するまで、洋平氏は「首相になれなかった唯一の自民党総裁」だったのだ。

「苦労を重ねてきたからでしょう、洋平さんの人に対する気配りや目配りは細やかなものがあります。一方の太郎さんは理知的な性格で、いわばデジタル型です。アナログ的な調整や根回しを苦手にするところがあります。政治の世界は理屈だけでは動きません。人間関係といったアナログ的な面も大きいのです。パワハラ報道もあったように、怒りっぽいのも玉にきずでしょう。首相という仕事には、精神面で安定している必要があります。太郎さんの課題と言っていいでしょうね」(同・篠原氏)

菅・麻生の“サポート”

 河野大臣と小泉元首相は、自民党における“異端児”という点では似たところがある。とはいえ、元首相のような“変人”キャラかと言えば、そうでもないようだ。

 意外に思う向きもあるかもしれないが、河野大臣は大物政治家に可愛がられてきたという特徴もある。

「初当選を果たした時から、菅首相は太郎さんの存在に注目していたそうです。2人とも96年に初当選を果たした同期でもあります。菅さんは『同期から総理総裁が出るとしたら彼だ』と言っていました。太郎さんが防衛相や外務相という要職を歴任したのも、菅さんの後押しがあったからです」(同・篠原氏)

 そしてもう一人が、派閥の長を務める麻生太郎財務相(80)だ。

「麻生さんは1999年、所属していた宏池会(註:現在は岸田派)を離脱し、洋平さんをリーダーとする大勇会(註:マスコミは「河野グループ」と呼称)の旗揚げに参加します。麻生さんにとって洋平さんは政治の師にあたるため、その息子である太郎さんのことは非常に目をかけていました」(同・篠原氏)

 総裁選への出馬をめぐり、河野大臣と麻生大臣の意見が異なったという報道もあった。

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