元弁護士で元プロ雀士の作家・新川帆立さん 一人暮らしの学生を見ると胸騒ぎがする理由

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教育熱心だった祖父

『元彼の遺言状』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビューした新人ミステリー作家の新川帆立さん。弁護士資格も持つ彼女が、かつて宮崎の実家から東京大学に進学した際に悩んだ、大きな壁とは。

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 我が家は代々宮崎県に居を構えている。父方は下級武士で、明治以降は獣医や教師といった地方インテリ的な職業についていた。母方はずっと農家。稲作はもちろん、タバコやサトウキビ、スイートピーなどを栽培していた。

 両家には共通点があった。どちらも教育熱心なのだ。父方の親戚には田舎侍の傲慢さがあって、庶民に学で負けてはならぬと勉学が推奨された。他方、母方は少し変わっている。母方の祖父は3人兄弟の末っ子だった。兄二人は非常に優秀で、組合の出納や村人の代筆を任され、頼りにされていたそうだ。が、若くして戦死してしまう。生き残った祖父は「馬鹿者だけが死ななかった」とこっそり陰口を叩かれたという。祖父はそのことを執念深く覚えていて、子や孫の教育に心血を注ぐようになる。田舎の農村のことだ。「子供に学をつけるとロクなことがない。家の手伝いだけさせておけばいいのに」と近所からは揶揄されていたらしい。

 今でも覚えている。盆や正月に祖父の家に行くと、一番奥の座敷で正座させられた。「勉強はどうだ」「頑張っとるか」。祖父は訥々と、言い含めるように言葉を重ねた。「冬が寒ければ寒いほど、スイートピーは綺麗な花を咲かせる。頑張らんといかんよ」。座敷には出荷予定のスイートピーが積んであって、少し酸味のある甘い香りが鼻を突いた。

 私が東京大学に進学できたのは、両家の数世代にわたる教育投資の賜物といえる。「東京大学」と大きく書かれた湯飲みを持ち帰った時の、祖父の喜びようといったら。晩年の老人ホームでも、たびたび湯飲みを自慢していたらしい。

上京した娘に届いた母からの贈り物

 だが、上京した当の私は、カルチャーショックに押し潰されそうだった。都会の子は当たり前に贅沢だ。ブランドバッグで登校し、カフェを梯子して勉強する。アルバイトは時間の無駄だから、家庭教師以外は禁止されているという。学食の280円のカレーを食べていると、クラスメイトから「学食って、美味しくないよね」と言われた。私の下宿があった地域は「下水くさいから、近寄らないようにしている」らしい。彼ら、彼女らは、幼少期から塾に通い、親きょうだいも名門校に進学している。そして言うのだ。「お父さん、サラリーマンだし、ぜんぜん普通の家だよ~」と。

 ある時、実家から届いた荷物を開けると、レトルト食品の隙間にTシャツが挟まっていた。広げてみると、正面に「アーユーハッピー?」とご機嫌な文字が。あまりにもダサいデザインだが、これを送った母の気持ちを考えると涙が出た。

 今では東京生活も板についたが、一人暮らしの学生を見ると胸騒ぎがする。特にコロナ禍では、大学にもアルバイト先にも行けず、孤立しそうだ。彼らの東京生活が少しでも楽しく、平穏であることを願っている。きっと彼らの故郷にも、そう願う人がいる。スイートピーの花言葉は「門出」、そして「優しい思い出」だ。

新川帆立(しんかわ・ほたて)
作家・元弁護士・元プロ雀士。『元彼の遺言状』(宝島社)で第19回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し作家デビュー。

2021年8月27日掲載

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