笑点「山田たかお」が語る極貧生活と不動産投資 自宅以外に2棟のマンションを所有

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「座布団と幸せを運ぶ」の台詞でお馴染み「笑点」(日本テレビ系)の名脇役が、主役となって帰ってきた。山田たかお(64)がリーダーを務める「ずうとるび」が再結成。今年7月には彼にとって44年ぶりとなる新曲を発表したが、旺盛な活動を支える原点には人知れぬ苦労があって……。

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 1974年に4人組のアイドルグループとしてデビュー後、わずか3年で山田くんは活動方針を巡る意見対立を理由に脱退。一昨年にオリジナルメンバーである新井康弘から誘いを受けたのを機に、昨年2月からライブ活動を再開した。今夏には新曲も発表するなど、還暦を超えても元気いっぱいなのだ。

「メンバーの平均年齢は63歳。今やすっかり“老いドル”だけど、オヤジたちが、舞台の上で死んじゃうんじゃないかってくらい頑張ってます」

と話すのは、山田くんご本人である。

「僕も『笑点』の座布団運びは“昇天”するまでやめないつもりだけど、振り返れば歌手デビューのきっかけは、69年に『笑点』でスタートした『ちびっこ大喜利』のコーナーだった。僕は第1回から出演していて、『ずうとるび』のメンバーもレギュラーになっていったんだけど、当時は座布団10枚たまるとご褒美がもらえた。そこで僕が“レコードを出したい”って言ったら実際に10枚たまって、4人でデビューすることができたんですよ」 

 グループ名は「ビートルズ」を“ひっくり返してやろう”との決意で決まったと振り返る山田くん。芸能界に入る原点も音楽だったとして、こう続ける。

「小学校4年生の時に、近所にある江東公会堂で『日清ちびっこのどじまん』の公開収録があったんです。そこに飛び入りで参加したらチャンピオンになっちゃった。賞品がインスタントラーメン半年分だったんだけれど、それを家に持ち帰ったら家族が喜んでくれて……。僕は6人きょうだいの末っ子だったんだけど、食べるものにも困るくらい貧乏な家に育ったから」

「親が詐欺に…」

 東京・深川に生まれた彼の実家は木工所を営んでおり、もともとは大工などの従業員やお手伝いまで抱えるほど裕福だったという。

「けれど、僕が生まれる直前に親が詐欺に遭っちゃって、埼玉の三郷の方に500坪くらいの資材置き場があったんだけど、そういうのも含めて家の土地や建物まで全部取られちゃった。そんな経緯もあって、親から“不動産は大切”って教わってきたから、自分も収入に見合う予算で土地を買い、幸せな家庭を作りたい――そう思って17歳の時から不動産投資を始めたの」

 今や横浜に構える自宅以外にも、都内に2棟のマンションを所有している。

「二つのマンションは共に最寄り駅から徒歩5分圏内の『駅近物件』だけど、土地を買った当初は不便なところだったから安い金額で買えたんです。将来、電車が通ると見込んで投資したら、実際に駅や商業施設ができて順調に地価が上がってくれた。芸能人って仕事はあまり保証がないでしょう。基本的に銀行も融資してくれないけど、僕は最初に買った13坪の家のローンをきっちり返済して、その土地を70坪にまで買い増して角地にした。そうした実績から金融機関の信用を得て、マンションを建てることができたわけです。ちなみにエレベーター付きの自宅は3億円! いや、住宅街の奥から3軒目にあるからサンオク、というのが定番のネタでね……。近所から“座布団御殿”って言われています」

 芸能生活も半世紀になるが、堅実に積み上げてきたのは座布団だけではなかったのだ。

週刊新潮 2021年8月12・19日号掲載

ワイド特集「ゴールデンスコア」より

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