夏の甲子園で大論争…変則投法&打法で「フェアではない」と非難された球児

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 8月10日に開幕した夏の甲子園。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大により中止されたため、2年ぶりの大会となる。連日、球児たちの熱戦が繰り広げられる一方、独特の投法や打法が「フェアではない」と批判され、論争に発展した事件も何度かあった。

「ごまかし投法はやめてほしい」

 下手からの独特の投球フォームを審判に“ごまかし投法”と断定されたのが、広陵のエース・渡辺一博である。1980年のセンバツ直前、渡辺のいったん停止してから投げる変則フォームが、高校野球連盟から「(ルール違反の)三段モーション」とクレームがつき、二段モーションに直すよう指導された。短期間で修正するのは大きなハンデだったが、渡辺は急造の二段モーションで力投し、4強入りをはたした。

 だが、思うような投球ができず、悔いを残したことから、渡辺は夏に向けて連日投げ込みを続け、二段モーションをマスター。春夏連続の甲子園出場をはたした。

 そして、優勝を合言葉に乗り込んだ甲子園。準々決勝の天理戦の試合前に思わぬ事態が起きる。審判部が渡辺のフォームを「反則投球とは言い難いが、打者がタイミングを取る上で不利」と松元信義監督に厳重注意したのだ。

 大事な試合前に渡辺の心理状態に影響を及ぼすことを気遣った松元監督は、何も言わずにマウンドに送り出したが、変則投法で投げつづけたことを問題視した審判部は、試合後、渡辺に直接口頭で注意した。

 2対4で敗れたとはいえ、「満足のいく内容で悔いはなかった」と自分の投球に納得していた渡辺は、突然「君のようなごまかし投法はやめてほしい。これから君の変則投法は禁止する」と通告され、「今まで苦労して、少しでもいい球を投げようと今のフォームにしたのに……」と泣き崩れた。

 甲子園大会後、国語の授業で、この悔しい思いを作文に書いたことが、苦境を打ち破るきっかけとなった。毎年成人の日に開催されていたNHK「青年の主張」の中国地方代表に選ばれたのだ。

 翌81年1月15日、登壇した渡辺は4千人の観衆を前に、我が家の倒産、父の交通事故など、絶望の淵に立っても、野球を青春のすべてと考え、日々精進してきたのに、変則投法を禁止され、これまでの努力が水泡と帰した辛い体験を明かした。

「今私は人生というマウンドに立って、あれほど辛い体験を乗り越えてきたのではないか、の自信がつき、今後どんなことがあっても負けない、の気持ちで新たな人生に挑戦しようと思っています」と決意を語り、準優勝に相当する優秀賞を受賞した。

大会本部がカット打法を問題視

 ファウルでしぶとく粘り、四球を選んで出塁する“カット打法”が問題になったのは、2013年。

 花巻東の2番打者・千葉翔太は「(身長156センチ)体格で劣る自分が生き残るためにはこれしかない」と、ボールをギリギリまで引きつけて、左方向へのファウルを連発するカット打法を努力の末マスターし、レギュラーになった。

 準々決勝の鳴門戦、千葉は初回にファウル7本と粘り、13球投げさせて四球を選ぶなど、1打数1安打4四球と全打席出塁。たった一人で計41球も投げさせ、チームの4強入りに貢献した。

 ところが試合後、大会本部がカット打法を問題視し、「意識的に続けた場合は、審判員の判断でバントとみなされ、スリーバント失敗で三振となる場合もある」(高校野球特別規則17)と通告してきた。

 準決勝の延岡学園戦、1球もファウルを打つことなく4打数無安打に終わった千葉は、0対2で敗れた試合後、「やってきたことを貫けなかった。ファウルで粘って出塁することが自分の役割でした。今までで一番悔しい試合でした」と号泣。特別規則のない大学での雪辱を誓った。

 それから4年後の春、筆者は神宮球場で日大4年になった千葉が代打で登場する場面を偶然2試合続けて目にした。いずれもカット打法でファウルを連発した末に四球で出塁。その後、スタメンをかち取った。まさに「継続は力なり」である。

 千葉は大学卒業後、九州三菱自動車に進み、プロ入りを目指していたが、昨年末で第一線を退いている。

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