「毒親」はいかにして生み出されるのか 「愛着スタイル」が影響、毒親との向き合い方は?

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毒親の抱える4つの事情

〈「毒親ブーム」に踊らされないために重要なのは、「毒親」という言葉そのものに過度に毒されないことと言えそうである。

 一方、先に提示された水島氏の定義に当てはまる、「真正の毒親」が確実に存在するのも事実だ。その毒親は如何にして生み出されるのか。〉

 私の臨床現場での経験上、何の精神医学的事情もなく毒親になった親はいませんでした。先ほど述べたように、完璧な親はいませんから、瞬時、「毒親風」の言動をすることはあるでしょう。しかし、常時、毒親であり続ける親には相応の原因があるのです。私はそれを「毒親の抱える4つの精神医学的事情」として分類しています。

「1」―― 発達障害タイプ

「2」―― 不安定な愛着スタイル

「3」―― うつ病などの臨床的疾患

「4」―― DVなどの環境問題

 誰もがなりたくてなっているのではなく、こうした事情ゆえに毒親になってしまうのですが、ここでは先ほど触れた「2」の愛着スタイルについて掘り下げてみたいと思います。

 愛着スタイルとは、主に幼少期における「母親的役割」の人との関係性から形成される行動の様式です。必ずしも母親とは限らず、父子家庭においては父親がその役割を担い、他の養育者でもあり得ます。簡単に言うと、幼い時に「母親的役割」の人からどのような愛情を受けていたかということであり、これは愛情の受け手である子どもが大人になってからの、他者との付き合い方にも少なからぬ影響を与えます。

 安定した愛着スタイルの人とは、自分が求めた時に「母親的役割」の人がしっかりと愛情を提供してくれた環境で育ってきた人のことを指します。その安定的なつながりを、子どもは失敗してもそこに戻ればいいという信頼感のある「安全基地」として捉えられる。そうすると、その子どもは基本的に「性善説」の大人になり、情緒が安定します。

 逆に不安定な愛着スタイルの人は、「母親的役割」の人が温かく助けてくれることもあれば、冷たく突き放してくることもあるという、文字通り不安定な環境で育った人です。

 この環境では、子どもは常に相手の顔色を窺(うかが)わなければならず、大人になってからも「いつ見捨てられるか分からない」と不安定な感情を持ちやすくなる。それが対人関係にも表れ、相手のちょっとした行動にも「この人は私のことが嫌いなんじゃないか」と過剰に反応してしまい、猜疑心に苛まれる。

 反面、ひとたび「密な関係」に辿り着くと、その関係を失いたくないあまり、裏切られるのが怖くて激しい嫉妬や束縛、支配など、却って相手が逃げてしまう言動を取ったりする。親子関係はまさに「密な関係」です。こうして毒親が誕生することになります。

 なお、コロナ禍では親子が長時間一緒に過ごす機会が増えています。まさに密な関係が醸成されやすい環境と言えますが、あくまでそれは「非日常」であるという意識を忘れてはいけません。どれだけ良好な関係の親子であっても、コロナ禍のような環境で強いられる密な関係はストレスフルな状態だからです。無理に仲良し親子を演じる必要は全くありません。

 話を戻すと、不安定な愛着スタイルが毒親の要因のひとつなのであれば、自分の親みたいな毒親にならないようにするためには、不安定な愛着スタイルから抜け出せばいいことになります。

「許す」と「ゆるす」

 安定型の愛着スタイルのパートナーなどに巡り会えれば、その一助となるでしょう。安定した愛着スタイルの人と一緒にいてその人が安心でき、信頼できる人であれば、不安定な愛着スタイルが前面に出てくることはあまりありません。

 しかし、残酷な言い方になりますが、愛着スタイルそのものはそう簡単に変わらないのが現実です。幼少時から植えつけられてきた不安定さが根深いものであることは想像に難くないのではないでしょうか。

 では、不安定な愛着スタイルの人は諦(あきら)めるしかないのか。そんなことはありません。自分が不安定な愛着スタイルであること、まずはそれ自体を自覚する。このことがとても大切です。

 自覚できれば、自分が不安定な愛着スタイルに基づいた言動をしてしまいそうなスイッチが入った時に、今は心を安定させる何かをしなければいけないと気づくことができます。

 そして自覚することによって、自暴自棄になるのではなく、「まあ、私はあんな環境で育って、不安定な愛着スタイルだからな~」と一種の割り切りができるようになり、自分の中に癒やしを求めることもできるのです。

〈自身の愛着スタイルの自覚が、毒親問題からの脱却の第一歩だという。その上で、より「実践的」な手段・方法はないのだろうか。〉

 実は人を助ける、手助けすることが、不安定な愛着スタイルを癒やすひとつの方法なんです。対人援助というものは、「自分はさておき」、「相手を中心に考える」ことにつながります。この意識で相手と安定的に関わることにより、不安定で無秩序だった人間関係を秩序立てていき、癒やしを得ることができます。

 この時に大事なのは、見返りを求めないことです。私は与えているのにお礼がない。そう思ってしまう時点で「与えて」はいない。お礼を期待している時点で、「与える」ではなく「受け取る」姿勢になってしまっているからです。

 また、「ゆるす」意識が重要です。毒親問題を乗り越えるのに必要なのは、親を「許す」ことだと言う人がいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。自分に対して数々の酷い仕打ちをしてきた親を許すなんてできない。それは当然の感情です。したがって、私は毒親を「許す」必要はないと考えますし、現実的にも難しいでしょう。

 しかし一方で、人間は「ゆるす」ことによってしか癒やしを得られないのもまた事実です。

「許す」のではなく「ゆるす」。それは、思い出す度に自分が傷つかなくて済むようにすることです。過去の親の理不尽な言動を思い出し、「自分に落ち度があったから」「毒親によって傷物にされた自分が幸せになることなんてできない」などと、自分を傷つけないようにする。親の行為を「許す」必要はなく、自分が悪いわけではなかったと自身を「ゆるす」。

 それは「手放す」ことであるとも言えます。親によって勝手に押された「自分は毒親に育てられたダメ人間」という烙印を手放すのです。毒親に育てられた自分はどこかおかしいという思い込みを手放す。

 毒親問題から脱却する目的とは何か。私は、親を「許す」ことではなく、「自分の心の平和」を手に入れることだと考えます。何よりも、それだけでかなり「楽」になることがあるのです。そのためには、手放すことが大いに役立ちます。

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