池江璃花子の泳ぎは病気前とどう違う? 金メダリスト・岩崎恭子が分析

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五輪は独特の舞台

 オリンピックの舞台は独特です。とくに競泳はオリンピックが最高の舞台なので、どの選手も命がけで戦おうとします。そのくらいの覚悟がないと、勝者にはなれない。

 周りからのプレッシャーも大きいし、自分自身のプレッシャーもある。注目度もほかの大会とは比べものになりません。勝つための強い意志がなければ、とてもメダルは取れません。

 私の場合は、1992年のバルセロナ五輪と1996年のアトランタ五輪の2大会に出場していますが、バルセロナの200メートル平泳ぎで金メダルを取ったときは、14歳の中学生。コーチの指導のもと、目の前のことだけを考えて、一生懸命に努力を重ねた結果でした。

 オリンピックの怖さを知ったのは、むしろその後です。バルセロナの後、金メダルを取ったときの自分の記録を追い求めて、スランプに陥ってしまったんです。

 そのときは、改めてオリンピックについて、たくさん本を読んで調べたり、泳ぐって何だろう?と哲学的なことを考えたりもしました。そして、バルセロナのときの自分と今の自分を切り離すことができて、はじめて楽になったんです。

 アトランタ五輪の結果は、200メートル平泳ぎで10位でした。甘いと言われるかもしれませんが、自分の中では大満足でした。アトランタ五輪の出場に向けた努力のほうが、苦しかったぶん、自分にとって価値があったと思えたからです。

 出場する選手にとって、オリンピックとは、試合だけではなく、それまでの4年間の過程すべてがオリンピックです。アトランタに出場したことで、バルセロナの金メダルの意味もわかり、人間的にも成長できました。

 ちなみにオリンピックの本番では、そこがオリンピックの競技の場であることを、意外と意識しません。選手によって感覚は違うと思いますが、私の場合はそうでした。

 金メダルを取った200メートル平泳ぎの決勝、スタート台に立って飛び込んで、考えていたのは、ストロークの数を守ることだけ。練習でできていたことを、忠実に再現することに集中していたのです。泳いでいる時間は2分26秒65ですが、その間、“いま自分はオリンピックの決勝を泳いでいるんだ”とは、一度も思いませんでした。

 耳に入ってくるのは、顔を上げたときのタイミングで聞こえるコーチのかけ声だけでした。平泳ぎなので、抜かれない限り、左右の選手の姿も見えません。余計なことを考えず、自分のペースで泳げたからこそ、いい結果が生まれたのかもしれません。

 池江選手は、前回のリオ五輪に出場したのが16歳の高校生のとき。7種目に出場して、100メートルバタフライで5位に入賞しています。

 彼女にとって、東京五輪は、どのような位置付けになるのでしょうか。

 日本選手権の前のインタビューでは、「ずっとパリ五輪をめざしている」と言っていたので、あくまでもメインはパリ五輪なのかもしれません。東京五輪は、個人の派遣標準記録には及ばなかったため、出場する種目はリレー競技のみになります。体力の回復具合にもよると思いますが、彼女にとって今回のオリンピックは、経験を積む場所になるのではと思います。

 ただ一度オリンピックを経験しているということは、大きなアドバンテージ。まして今回は自国開催です。先日の日本選手権もオリンピック会場となる東京アクアティクスセンターで行われました。会場に慣れているのは有利なこと。選手にとっては、会場のトイレがどこにあるのかを知っているだけでも、大きな違いなのです(笑)。

 コロナ禍のなかでの開催なので、いろいろな制約もあるでしょう。そのような環境下でもストレスを感じないような選手が、本番では強い。細かな制限があって嫌だなと思ったら、力を発揮できません。池江選手は、そんなストレスを感じない強さもあると思います。

リレーの見どころ

 出場するのはリレー種目で、メドレーリレーは、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形という順番で泳ぐので、バタフライは3番目です。

 リレーの引き継ぎは、陸上競技のリレーのバトンの受け渡しほどの影響はありませんが、それでもタイムに差が出るため、出場前にはメンバーでよく引き継ぎの練習をします。

 前泳者がタッチパネルに触れたのを確認して飛び込むのでは遅すぎて、逆に早すぎても失格になってしまうため、引き継ぎは思っているより難しい。前泳者は必ずしもトップスピードで入ってくるわけではないので、タッチの予測は正確にできません。リレーでは、そんな引き継ぎの微妙な駆け引きにも注目してもらいたいですね。

 個人戦と違って、リレーではプレッシャーを出場メンバーで分け合えるので、少しは気が楽かもしれません。もちろん、一人ひとりがタイムを上げないと良い結果は生まれないので、その意味でのプレッシャーはありますが。

 池江選手には、とにかく競技を楽しんでもらいたい。そして池江選手本人が満足してくれれば、それでいいと思っています。それ以上、望むことはありません。出場権を獲得したことで、彼女は東京オリンピックの救世主となった。スポーツで人に元気を与えることができるということを、彼女はすでに見せてくれた。

 これまで、オリンピックに出場しても良い結果を出せず、満足するどころか逆に傷を負ってしまう選手たちを、たくさん見てきました。4年に1度のオリンピックは、それまで敵なしの強い選手でも、ライバルたちとの巡り合わせで、メダルが取れたり取れなかったりします。結果がどうであれ自身の努力をたたえ、頑張ってきたことに誇りを持ち、次に進んでほしいです。

 オリンピックは、いろいろなドラマがあるからこそ、惹きつけられる。今はただ、池江選手の応援団として、彼女の泳ぎを見守りたいと思います。

取材・構成=上條昌史

週刊新潮 2021年8月9日号別冊掲載

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