ジャニー喜多川氏の死から2年 退所やグループ解散が続く中で改めて“遺したもの”について考える

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堂本光一の言葉

 新しいことに挑戦するグループもある一方、ジャニー喜多川が作・演出を担っていた「DREAM BOYS」「少年たち」といった舞台は、堂本光一や滝沢秀明が演出する形で引き継がれている。

21年の上半期アルバムセールスチャートではTOP3をSixTONES、ジャニーズWEST、Sexy Zoneの2010年代以降にデビューしたグループが独占するなど、若手タレントたちの勢いは増しこそすれど、陰りのようなものは見られない。

 少し冷淡な言い方に聞こえるかもしれないが、しっかり自分の頭で考えてきたタレントたちは、恩師が亡くなったところで、自分そのものが変わってしまうようなことはないのかもしれない。

 堂本光一はこう語っている。

「ジャニーさんが亡くなったことは、自分にとって非常に大きな出来事でしたが……自分自身の考え方や姿勢については、正直変化を感じてないですね」(AERA 2021年6月7日号)

 これは、もちろん堂本光一が非情とかそういう話ではない。大きな悲しみに出会ったはずの光一ですら、これまでジャニーと過ごしてきた日々の中で形作られた“自分のかたち”は、大きく変わることはないのである。

 そんな光一も、もともと、ジャニー喜多川作・演出の舞台だった「SHOCK」を、氏の存命中に、自ら脚本に手を加え演出することを提言し実行するなど、自分で考えて行動し、ジャニーに受け入れてきてもらった男である。

「自分でやれる人間ばっかり」

 ジャニー喜多川は生前こう語っていた。

「ジャニーが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。マネージャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ」(AERA 1997年3月24日号)

 そう、ジャニーは“自分でやれる人間”を育ててきたのである。だからこそ、今のジャニーズには“自分でやれる人間”が残っている。

 逆の言い方をすれば、自分で考えられないタレントにとっては、歓迎しづらい時代が来ているのかもしれない。

 元・光GENJIの佐藤アツヒロは、ジャニー死後の変化をこう語っている。

「うちの事務所は基本的に本人発信で、それにジャニーさんがプラスアルファしてくれていた。そこがなくなってしまったので、自分たちで全部考えないと何も生まれなくなったんです」(月刊TVnavi 7月号)

 自分たちで全部考えないと何も生まれない――。“すべてを与えられ言われたままにする”のではなく“タレント自ら創っていく”芸能事務所としては珍しいジャニーズ事務所の特性が、ジャニーの死後、より色濃くなっているのかもしれない。ジャニーがしてきたのは“人形づくり”ではなく、“人間づくり”なのだ。

 そんなアツヒロも、ジャニー喜多川の葬儀で再会した、同じく元・光GENJIの内海光司とともに、イベントをおこなったり、ラジオやテレビに出演したりと、最近では「元」ともつけずに、“光GENJI”としての活動を再び活性化させている。

 光GENJIは1995年に解散したが、佐藤アツヒロは同じ95年に入れ替わるようにデビューしたV6の年長組と歳が近い。佐藤アツヒロ47歳、内海光司53歳。ジャニーズ事務所に残っている2人は、自らのペースと意思で、またアイドル活動をすることを選んでいるのである。

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