『ゴジラVSコング』 やっと始まる地上最強怪獣決定戦、勝つのはどっちだ?

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舞台が香港になったことの意味は?

 さて今回の『ゴジラVSコング』はこの62年のバトルから、そのプロレス的ムーブを継承している。今回の“再戦”でもリングと観客席のあいだにはっきり、跨(また)ぐことが出来ないロープが張られている。その境界線が侵されることは、決してないのだ。

 ゴジラとコング、2体の怪獣は南極に向かう海上から、香港市街へと転戦する。2019年の香港民主化デモを記録した『香港画』(2020)という短編ドキュメンタリーがある。市民と機動隊がはげしく衝突する中で、ジョン・レノンの「イマジン」と共に「星条旗よ永遠なれ」を奏でるストリート・ミュージシャンの姿があった。香港への支持を表明したアメリカ政府への、返礼として。市民の自由が危機にさらされているその町がなぜ、日米の怪獣たちに蹂躙(じゅうりん)されなければならないのか……その戦いのさ中、何の変哲もないビルに、コングはよじ上って見せるのだ。

 思えば33年のオリジナル『キングコング』でコングは、絶海の孤島から移送された先のニューヨークで脱出を図るも、エンパイア・ステート・ビルにまで追いつめられる。警察の操縦する4機の飛行機が、コングの周囲を旋回し機関銃を掃射する。そして映画の世紀、アメリカの世紀である20世紀を象徴する建造物の上でコングは、最期を迎えるのだ。

 東京を戦いの舞台とした62年版のコングは、国会議事堂によじ登っていた。当時のアイゼンハワー米大統領が訪日を中止するほど紛糾した、60年の日米安保闘争では連日デモ隊で埋め尽くされた場所だ。しかしこの場面にそういった政治的屈折を読み取るのは、あまりに穿(うが)ちすぎだろう。コーナーポストも上から観客席に向かってアピールするプロレス的なサービス精神で、コングは愛嬌を振りまいて見せただけなのだ。

惜しむらくは「地底世界とワームホール」

 特撮映画は文明批評である必要はない。めくるめく異世界を覗き見る窓であれさえすればいいのだ。モンスターバース・シリーズでは、本当の意味でも異世界もまた描かれる。ずばり「地球空洞説」。海底洞窟の向こう側にある怪獣たちの楽園、反重力が支配する世界があるもので、これは初代『ゴジラ』(1954)に近しい設定があることも知られている。

 この設定がなんとも蛇足のように思える。時空の幾何学的な歪みとして解釈された重力の法則が、パッと見よく分からないのだ。たとえばワームホール、反重力を生み出す負のエネルギー、二つの離れた領域を結び付けるトンネルは、『2001年宇宙の旅』(1968)や『インターステラー』(2014)に登場する。しかしこれらの映画に見られる、明快で好奇心をくすぐる視聴覚的アイディアが、この映画の地底世界にはまったくない。いや、そういった驚異を指向すらしてないように感じられる。

 もっと派手に滑って欲しい、というかそこで勝負する気がないならば、失笑すら出来ないじゃないか。いっそ怪獣同士のファイトに徹することはできないだろうか。同じ猿のファイトならば、デスマッチ・レスラー葛西純の、“本物のプロレス”、怒りと痛みと、強さと激しさを表現する生きざま・死にざまを記録した『狂猿』(シネマート新宿ほかにて公開中)を見て欲しい。

 ということで★は2つ減らしてみた。とはいえ、

《『ゴジラVSコング』が全米興行収入6000万ドルを突破、『TENET テネット』(5850万ドル)を超えて、パンデミック下で最大の全米興収を上げた作品に》(4月11日付『ハリウッド・レポーター』誌)

《「ゴジラvsコング」が、北米興収1億ドルを突破した。新型コロナウイルスの感染が拡大してから公開された映画として、1億ドルの大台に到達したのは「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」に続き2作目》(6月23日付『映画.com速報』)

 長引くコロナ禍における人びとのストレス発散という目的は、十分に果たせる作品であることは間違いない。

椋圭介(むく・けいすけ)
映画評論家。「恋愛禁止」そんな厳格なルールだった大学の映研時代は、ただ映画を撮って見るだけ。いわゆる華やかな青春とは無縁の生活を過ごす。大学卒業後、またまた道を踏み外して映画専門学校に進学。その後いまに至るまで、映画界隈で迷走している。

デイリー新潮取材班編集

2021年7月2日掲載

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