悪質すぎる「川崎祭り」、日本ハムの球宴ジャック…オールスターファン投票事件簿

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 2年ぶりのプロ野球オールスターが7月16日にメットライフドーム、17日に楽天生命パーク宮城で開催される。6月11日のファン投票中間発表では、阪神のスーパールーキー・佐藤輝明が12球団でただ一人20万票を突破して注目を集めた。人気、実力を兼ね備えた選手に票が集中するのは、当然の結果だが、過去には、特定球団の組織票が波紋を広げたほか、実力や活躍度に見合わない選手が上位に名を連ねる珍事も起きた。そんな山あり谷ありのファン投票事件史を振り返ってみよう。

投票用紙を5枚ずつ配ったことが……

 1978年、日本ハムが組織票で9ポジション中8つまでを独占する“球宴ジャック”事件が起きた。

 同年のオールスターは、当時日本ハムの本拠地だった後楽園球場で第3戦が行われることから、球団側が「ウチの主催だから、チームの選手が出られるのはいいこと」とファンクラブの3万5000人に投票用紙を5枚ずつ配ったことが、“前代未聞”の騒動を引き起こした。

 投手=高橋直樹、捕手=加藤俊夫、一塁=柏原純一、二塁=富田勝、三塁=古屋英夫、遊撃=菅野光夫と、バッテリーと内野の6人を日本ハム勢が独占。外野もボビー・ミッチェル、千藤三樹男の2人が選ばれ(もう一人は阪急・福本豊)、パ・リーグ全体の得票数のうち、38.4%が日本ハムだった。

 山田久志や加藤秀司らの阪急勢や有藤通世(ロッテ)、土井正博(クラウン)ら実力者が軒並み次点以下になる異常事態を受け、日本ハム側は「他球団の選手の出場機会が少なくなり、オールスターの趣向を減じることになる」(三原脩球団社長)と、実績面で劣る菅野とルーキーの古屋を出場辞退させた。

 古屋は翌年オールスター初出場をはたしたが、「近所の人から寄せ書きまで貰って応援されていた。どう言い訳したらいいのかなあ」と困惑した菅野は、85年に現役引退するまで一度も出場できずに終わっている。

 また、前年南海の監督を解任され、“一兵卒”としてロッテに入団した野村克也も、7月6日までパ・リーグ捕手部門のトップだったが、締め切り直前のどんでん返しで加藤に抜かれ、「そうか、しゃあないなあ」と肩を落とす結果になった。

「何かの間違いでしょ」

 2007年にも地元開催の楽天から12人中8人が選ばれ、「オールスターダスト(星屑)」(楽天・野村克也監督)のボヤキも。14年の広島も“カープ女子効果”で11人中8人が選ばれ、ファンから「やり過ぎ」の声も出た。

 主力以外の選手や2軍選手が上位を占める珍現象が起きたのが、89年だ。6月9日に発表された第1回投票結果。セ・リーグ投手部門で御子柴進(阪神)が467票でトップになったのをはじめ、捕手=堀場英孝(広島)、一塁=片平晋作(大洋)、二塁=水谷新太郎(ヤクルト)、遊撃=高代慎也(広島)ら意外な顔ぶれがズラリ。外野も1軍出場のない今井譲二(広島)が464票で、3位・大豊泰昭(中日)と16票差の4位だった。

 一方、パ・リーグも、二塁=湯上谷宏(南海)、三塁=野中崇博(オリックス)、遊撃=谷真一(近鉄)と1軍出場のない選手が1位になった。これには、オールスター運営委員の塩沢平次郎コミッショナー秘書課長も「これだけバラバラのチームから選ばれていると、組織票とは考えられない。原因? それが皆目見当がつかんですよ」と戸惑うばかり。

 投票された選手たちも、パ・リーグの外野部門1位の畠山準(ダイエー)が「これは何かの間違いでしょ。そんなに出てないのに(25試合)、どうして名前が挙がるんでしょうね」と首を捻るなど、素直に喜ぶ者はほとんどいなかった。

 1位選手の得票がいずれも400票台後半から500票台だったことから、500票前後でトップに立つことが可能な第1回発表をターゲットに、「一度でいいからトップに」と後援者がまとめて投票したとみられる。その後、当然ながら、これらの選手は得票が伸びず、圏外に消え去っていった。

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