「ビッグダディ」秘話 制作者が明かす清志さん“出演拒否騒動”と美奈子の関係

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奄美と豊田の二重撮影

 こうして清志氏は、元妻と子どもたちを残し、ひとり豊田に向かった。

「番組のテーマ曲は、奥田民生の『さすらい』です。これは、ビッグダディの名づけ親でもあるテレ朝のプロデューサーが決めたものですが、清志さんの人生のテーマ曲としても、ぴったりだと思うんですよね。清志さんは、自分がやると決めたらやる、行くと決めたら行くという性格だし、ひとつの所に長く留まれない人なんです」(同)

 番組は、元妻と子どもたちが住む奄美と清志氏が働く豊田の2拠点で撮影することになった。

「別々に撮影してはじめて、清志さんと子どもたちが一緒に暮らすからこそ、面白い映像が撮れていたんだということを痛感しましたね。もちろん奄美でも小さなトラブルが起こったりはしましたが、それだけで番組が出来るわけではありません。一方、豊田にいる清志さんは接骨院で熱心に働く毎日で、撮れるのは施術のシーンばかり。そこで、番組的に持つようなことを清志さんと相談をして、稲作に挑戦してもらったことがありました。収穫したお米は、奄美の子ども達がおにぎりにして食べていましたね」(同)

 その頃、高校を卒業した長女の愛美さんは、愛知で就職。清志氏と二人暮らしを始めたものの、子ども達に囲まれた“ビッグダディ”らしい姿が見られないという状況は続いていた。

「出稼ぎに行って1年ほど経った頃、番組から提案して、接骨院が休みになる年末年始に奄美に帰ってもらったこともありました。久しぶりに子どもたちと一緒にいる清志さんを撮影して、やっぱり家族が揃っている時は、ストーリー展開を含めて面白いものが撮れると感じました」(同)

 一方の元妻は、奄美での生活に不満を募らせていく。清志氏が豊田での収入を次男の熱志さんに全て渡し、なぜか元妻に家計を任せなかったことも、その要因の1つだった。

「佳美さんは、どんどんストレスを溜めていき、奄美を出たいと漏らすようになりました。不慣れな家事をこなしながら、12人の子どもの世話をするのが本当に大変だったのだと思います。同時に、清志さんが6年間、男手1つで子どもたちを育てていたのが、いかにすごいことかと感じました」(同)

 その後、元妻は三つ子と紬美ちゃんを連れて奄美を出て行き、夫婦はやがて再び離婚。高校生の次男の熱志さんと三男の武志さんは奄美に残り、他の6人の子どもたちは清志氏と共に豊田で新生活を始めた。

番組終了の危機

 そうした中、「清志さんが番組出演を辞めたいと言いだしている」という話が何の前触れもなく、石川氏の耳に入る。番組が始まって以来、およそ4年間、密着を嫌がったことは無かった清志氏からの突然の出演拒否だった。

「豊田まで会いに行きましたが、清志さんは『十分撮ったのだから、もういいでしょう』と言うばかりで、なぜ辞めたいのか理由がはっきりしませんでした。これまで一家と二人三脚でやってきて、人気番組に成長させたという自負もありましたし、視聴者にも説明がつきませんから、突然の終了だけはどうしても避けたかった。一方で、制作会社の経営者としては、すぐに別の人気番組が出来るとも限りません。制作スタッフたちの仕事を守りたいという思いもありました」(同)

 しかし、石川氏の説得は上手くいかなかった。

「もともと清志さんはお金で動く方ではありませんから、謝礼の額を増やして説得材料にすることは出来ません。その上、指図されることが嫌いで、一度決めたことは貫き通す性格ということも知っていましたから、諦めて帰るしかありませんでした」(同)

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