制作者が語る「ビッグダディ」秘話 ネタ切れ状態の時に現れた元妻と仰天の「妊娠」

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段々とネタ切れに……

「痛快!ビッグダディ」は、第1回(2006年9月26日)の放送からおよそ半年後に第2回(2007年4月10日)、そのわずか2カ月後には第3回(2007年6月16日)が放送される。

「狙い通り、ビッグダディシリーズは高視聴率番組となり、不定期ながらも2時間や3時間の特番が次々と放送されました。視聴率が取れるとなると、ますますこちらも気合いが入るので、何か面白いことを起こそうと清志さんに色々と相談をしていくわけですよ。例えば、島を散策したり、キャンプに行ったり、子ども達が村の相撲大会や駅伝大会に出場したり……。色々と工夫して撮影するんですが、何せ小さな島なので、だんだんと新しい展開が無くなって、ネタ切れ状態になってきたんです」(同)

 それを打開したのが、第4回放送で描かれた「元妻の突然の訪問」だった。奄美大島での生活が始まってちょうど1年後、7年前に別れた妻が5歳の三つ子を連れて、一家のもとにやってきたのだ。

「別れた妻の佳美さんとは、たまに近況報告をしあっているという話を清志さんから聞いていました。携帯を持っている上の子どもたちも、お母さんとメールのやりとりなどをしているらしく、関係は良好だったのです。そこで、清志さんに『今、元奥さんはどうしてらっしゃるんですか? 奄美に来るのは可能ですか?』と聞いたのです。清志さんは上から目線で言われるのがとにかく嫌で、どんなことであっても『やろうがやるまいがオレの勝手』という考えの人です。だから、我々も元妻を呼んでくださいとはお願いは出来ず、あくまで清志さんの判断に委ねました」(同)

 こうして、林下家が奄美に移住してちょうど1年の日に、元妻が“突然”やってきたのだ。

 小学生の子どもたちが母との久しぶりの再会に大喜びする一方で、清志氏はつれない態度を取る。さらに、「離婚した男女は、一つ屋根の下で一緒に眠ってはいけない」という考えから、元妻と三つ子たちは近所の家に泊まらせてもらうことになった。

 3日間の滞在最終日、元妻は清志氏に「一緒には暮らせんかね?」と思い切った提案をする。しかし清志氏は「当たり前だぼけ、何で俺がまたお前と一緒に暮らさないかんのだ」と素っ気なく答えるのだった。元妻は、諦めて三つ子を連れて愛知に帰るしかなかった。

復縁を求める元妻

 その後、元妻は再び奄美を訪れた。しかもそれは、愛知での新聞販売店の仕事を辞め、奄美に住む覚悟を決めた上での行動だった。

「奄美での最初の再会は、事実上こちらが提案したものでした。しかし、その後の展開や人の気持ちまで番組で演出するわけにはいきません。だから、元妻が奄美で清志さんと一緒に住みたいと言いだしたのは本当に驚きでしたね」(同)

 この時、元妻の無計画な行動に激怒した清志氏は、ひとり公民館で寝泊まりすると家を飛び出してしまう。「もう一度一緒に暮らすことがあるなら、7年前に離婚するつもりはなかった」と硬い態度を崩さなかったが、それでも元妻は、「復縁が無理なら、近くに住むだけでもいい」と言って食い下がった。

「この時、番組のスタッフは夫婦のそばを離れ、遠くからカメラを回しました。清志さんと元妻が、家族の今後について本当に真剣に話し合っていたからです。視聴者の方にも、その話にじっくりと耳を傾けて欲しいという思いから、編集を極力せず、長回しの映像をほとんどそのまま使いました」(同)

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