コロナ禍で鮮明になった「日本の没落」…経済学者が23年前に著書で鳴らした警鐘
「戦争に協力することだろう」
また、森嶋はこう述べている。
「『政治的没落』の罠からどうして脱出するかが、日本の中心問題でなければならない。私はそのためにはアジア共同体の形成以外に有効な案はないと考えている。しかし日本人はそのような案を好まないようである。現在の日本人ですらアジアの中でお高くとまりたがっている」
23年後の今も、日本人は相変わらず、アジアの中でお高くとまりたがっている。お高く止まることで、日本が没落しつつある現実から目を逸らし、「せいぜいよくて、人々が過分の物質的生活を享楽して時を潰すだけの国に終わってしまう」という森嶋の予言を成就させようとしている。
『なぜ日本は没落するか』に記された数々の予言は、23年の時間の経過の中で、次々と現実化してきているが、まだ現実になっていない予言の中で、最も恐ろしいものを引用しておこう。
「今もし、アジアで戦争が起こり、アメリカがパックス・アメリカーナを維持するために日本の力を必要とする場合には、日本は動員に応じ大活躍するだろう。日本経済は、戦後―戦前もある段階までそうだったが―を通じ戦争とともに栄えた経済である。没落しつつある場合にはなりふり構わず戦争に協力するであろう」
戦後世代には難解か
ここまで日本の致命的な欠陥を抉り出しながら、『なぜ日本は没落するか』の書評は、2001年に『経済社会学会年報』、2005年に『経済セミナー』、2010年に『日本経済新聞』に掲載されただけで、同書がそれほど反響を呼ばなかったことを示唆している。なぜ森嶋が鳴らした警鐘は、重視されてこなかったのだろうか。
1923年生まれの森嶋は、1943年に学徒出陣で動員され、「特攻隊が飛び立って行く基地で、絶望的な物量差と技術差に直面しながら、日本をどうしたら守れるか、国を守るとはどういうことかを考えた」(『日本の選択』岩波書店、1995年)という。そうした経験をした森嶋は、80年代のバブルが崩壊して引き起こされた日本の金融危機を、「太平洋戦争開戦当時に日本を取り巻いていた危機に匹敵する」(この記述は単行本にあるが文庫版では削除されている)と考えていた。こうした深く鋭い問題意識から、1998年から52年後の2050年に日本がどうなっているかを考えぬいた結果が、『なぜ日本は没落するか』だったのだ。
森嶋は、旧制高校2年生(18歳)の頃、全体主義的な国家観を否定する多元的国家論を展開した高田保馬(やすま)『社会と国家』(岩波書店、1922年)を読んでいた。そのとき同じ下宿に住んでいた同級生は、法律と政治の立場から国家学を展開した尾高朝雄『国家構造論』(岩波書店、1936年)を読んでおり、「夕食後、どっちかの部屋に座り込んで長い間議論を何度もした」という。その後、森嶋は京都帝国大学経済学部に入り高田の指導を受け、その同級生は東京帝国大学法学部に入り尾高の指導を受けた。
『なぜ日本は没落するか』は、意図せずして、森嶋と同じ水準の知的トレーニングを10歳代後半で受けた人たちに向けて書かれており、エリート主義を否定した戦後教育の下でそうしたトレーニングを受けていない戦後世代の大半にとっては難解すぎたのかもしれない。
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