制作者が明かす「痛快!ビッグダディ」秘話 林下一家“奄美大島移住”の真相

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“やらせ”は無い

 撮影は、子どもたちの学校が夏休みになる時期に合わせて、2006年5月から、2、3カ月に亘って行われた。撮影部隊は林下家の近くに宿泊し、何かあればすぐに撮影出来る態勢を取った。

「当然ですが、24時間カメラを回しているわけではありません。例えば『ケンカが始まったらすぐに連絡してください』などと事前にお願いしておくんです。あとは、清志さんに『今日は買い物行きませんか』と提案して、その様子を撮らせてもらうこともありました。いくら大家族とはいえ、日常的に面白いことがしょっちゅう起こるわけではありませんから、何か起こりそうな時を狙って撮影をしました」(同)

 番組はやらせではないかとの疑問を持った視聴者もいるだろうが、“清志さんに限ってやらせは絶対にない”と石川氏は断言する。

「清志さんはとにかく指図されることが嫌い。もし、カメラマンが『上手く撮れなかったから、さっきのをもう一回やってください』なんて言ったものなら、怒り出して撮影にはならないでしょう。とはいえ、カメラを向けられる限りはテレビに映るという意識を持ちながら振る舞うので、完全に素の状態とは言えません。番組は、いわば“林下劇団”を使ってストーリーを作ることで成り立っていたわけですが、そこに台本はありませんでした」

ギャラの文句は言わない

 もうひとつ視聴者が気になるのは、ギャラのことだろう。番組中、一家の暮らしはつつましいものだったが、敢えて貧乏なふりをしたのではないかと訝しむ声もあった。

「当時、清志さんは家族9人が食べられるだけ稼げば十分といって、整体師としての収入20万円ほどで毎月生活していたそうです。当然貯蓄は無かったでしょうが、お金に興味はないようで、最初に出演を依頼した時に、清志さんの方からギャラの話が出ることもありませんでした。当然、撮影させてもらっているわけですから、番組からは謝礼をお支払いしていました。2、3カ月程度撮影させてもらっても、謝礼は一回の放送につき多くても50万円程度。子どもたちの進学などで出費が重なるときは、早めに欲しいと言われることはありましたが、謝礼が少なすぎるなどと清志さんから文句を言われたことはありません」(同)

 こうして始まった「痛快!ビッグダディ」は、一家の奄美大島移住、元妻との再婚、さらには18歳年下の美奈子氏との結婚など、様々な展開を見せる人気番組となっていく。石川氏が見た清志さんの姿は、テレビの中のビッグダディとは、また違う一面だった。

次回に続く

デイリー新潮取材班

2021年6月7日掲載

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