中国当局からスパイ容疑で116日間拘束された「在日華僑」 “恐怖の取調べ”と“真の狙い”を語る

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

意識の「ずれ」

 劉氏が拷問に近い取り調べにも耐えることができたのも「自分は40年間同胞を助け支援してきた」という確たる信念があったからだという。

 在日華僑・華人社会は、日本人には一枚岩のように思われがちだ。しかし1970年代までに海外に移住・定住していた老華僑・華人と、改革・開放の流れで70年代後半以降に出国した新華僑の意識には「ずれ」もある。

 特に、最近の来日中国人のマナーの悪さなどでは、「長い年月をかけて日本社会で築いた自分たちの信用が崩れる」として、快く思わない老華僑・華人も少なくない。

 劉氏も日本社会に不慣れな中国人留学生にゴミの出し方などの公共ルールや近所づきあいのマナーまで指導し、自身が経営していた中華料理店のアルバイトも開放して経済的に学業支援するなどしてきた。

 2010年に中華料理店をたたんだ後も、日中の相互理解促進や、新華僑・老華僑の融和に熱心に取り組んできた。

取り調べの変化

 もちろん、これまでの劉氏は、中国にとって日本での中国の影響力を強化する事実上の「有能な工作員」という一面もあっただろう。

 実際、劉氏は1985年ごろに中華理店の支配人から独立した際も、「愛国的である」として北京市政府要人から一流ホテルの料理人の斡旋を受けた。

 店は、来県した李鵬首相をはじめ、訪日中国要人を迎える機会も多く繁盛した。台湾の李登輝元総統が総統退任後の2001年4月、倉敷市の倉敷中央病院で心臓カテーテル手術を受けるために来県した際は、台湾を「不可分の領土」「核心的利益」とし、李氏を「台湾独立勢力の総代表」とみなす本国の意向に沿って訪日反対運動も展開した。

 そうした自身の「功績」を蔑ろにされた、という思いが強かったのだろう。手記の文面には「祖国からのスパイ扱い」に対する強い憤慨がにじみ出ている。

 ところで、当初は「拘束600日」と告げられたものの、実際には116日目に帰宅できた。その理由について劉氏は「聞かされていない」という。

「私を叩いても何も出てこないと判断したのではないか。最後の方は取り調べの中で、私の日本での活動への称賛などが増えていった。これ以上調べても無駄だと判断したのだろう。解放前には態度も親切になっていった。監視員らも『英語や法律の勉強を長くしている』だの、『テコンドーの天津大会で優勝した』だのと、雑談に応じるようになっていた」

「中国本土には行きません」

 解放されることが決まった時、手記には以下のように記されている。

《(※二〇一七年)三月一六日リーダーから、チケットが取れたから明日天津から関西空港へ帰国させる……とのこと。なんと、四か月ぶりの解放だ!! しかし……(※通訳の)姜君はすでに日本に帰っているのかどうか確認したところ、まだとの事。「私だけ先に帰る訳にはいかない、一緒に帰してくれ!」と言うと、「もう少し(※取り調べ)業務が残っているので……。済んだらすぐ帰します。中国共産党を信頼してください!」という返事。その言葉を信じて先に帰国する。三月一七日昼過ぎ、大阪(※関西国際空港)へ到着。二人の子供が迎えに来て再会を喜びあった》

 劉氏は帰宅に際し、天津の当局に保証金5000人民元を預け、復路の航空券を自費で購入し解放が決まった。

 もっとも「帰宅後も1年間は日本の当局やメディア関係者らに何も話すな」と念を押され、実際に当初は2週間に1回、後には1カ月に1回、天津当局から国際電話があり、「誰と会ったかなど、行動を聞かれた」という。

 帰宅から1年後の2018年春、天津の当局から「預かった保証金を取りにくるように」と促されたが、劉氏は「もう2度と中国本土には行きません」と拒否した。

中共の恐怖政治

 通訳の男性は劉氏に約1カ月遅れて4月14日に日本へ戻った。後から聞くと、男性は天津には送られず、日本に戻る直前は長春の実家に帰されるなど、劉氏とは扱いが違ったようだ。

 劉氏は「岡山県華僑華人総会では、私の拘束で他の会員は委縮してしまい、総会連絡用のチャットからも中枢メンバー30人が抜けるなど、総会運営は混乱した。帰宅直後の会長改選にも立候補者はゼロ。しばらくは副会長などの役職者は一切なしで、会長と会員だけという期間もあった」と振り返る。

 米中の対立がますます先鋭化するなか、最後に「中国国内の力関係に左右されるわれわれではない。信念に基づき行動するのみ」と締めくくった劉氏は、

「完全に先入観と思い込みによる勇み足で身柄拘束された。彼らの真の狙いは王毅氏だった。私は祖国の権力闘争に巻き込まれたのだとしか思えない」

 と心境を吐露。

「こんな思いをするのは私で最後にしてほしい。どうか立派な、誇りに思える祖国であってほしい。私なりの愛国心から、中国共産党の恐怖政治に意見したい。おかしいことはおかしいと、誰かが指摘し続ける必要がある」と語った。

吉村剛史(よしむら・たけし)
1965年、兵庫県明石市出身。日本大学法学部卒。在学中の88~89年に北京大学に留学。90年、産経新聞社入社。東京・大阪の両本社社会部や僚紙『夕刊フジ』関西総局で司法、行政、皇室報道等を担当。台湾大学社費留学、外信部を経て台北支局長、岡山支局長、広島総局長などを歴任。2017年、日本大学大学院総合社会情報研究科前期博士課程修了(修士・国際情報)。19年末退職。以後フリーに。日本記者クラブ会員、東海大学海洋学部講師。主なテーマは在日外国人や中国、台湾、ベトナムなどアジア情勢。著書に『アジア血風録』(MdN新書)等。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月21日掲載

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[5/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。