中国当局からスパイ容疑で116日間拘束された「在日華僑」 “恐怖の取調べ”と“真の狙い”を語る

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「中国国家安全部です」

《翌日、出発時間まで蘇州・拙政園(※世界文化遺産の明代の庭園)観光、浦東空港へ……。とのスケジュールで、朝食後、蘇州へ出発。
 小雨が降りしきる中、拙政園観光を終え、昼頃浦東へ出発しようと駐車場へ……。五~六人の男性に取り囲まれ、(※日本語で)「劉勝徳」という声が。「中国国家安全部です。少し聞きたい事があるので車に乗ってください」と指示され白っぽいワゴン車(※の後部座席)に乗り込む。助手席の男はハンディ(※ビデオ)カメラを私に向けている。両サイドを体格のいい若者に挟まれた》

《姜君とは別々に車は出発。車内では、メガネ・パスポート・携帯を取り上げられ目隠しをされる。日本語で「安心してください。危害を加えることはありません。聞きたいことがあるので協力してください!」との声が。
 市内を二〇~三〇分走っただろうか……。降りてくださいと言われ車から降りた。案内された部屋で目隠しをはずされる。そこは、蘇州のホテル(拘束者専用)の一室。ここで一か月過ごし、その後、天津のホテル(同じく拘束者専用だが、蘇州よりも豪華だ)に新幹線で移動し、ここで三か月を過ごすことになる。
 取り調べの時、二台のカメラがこちらを写している。二人の尋問者、通訳、記録員が「劉さんお昼の食事まだでしょう? お腹のほうは大丈夫ですか?」と聞く。食事どころではない! 早く終えてくれ!! という気持ちと、何でこんな事に? という気持ち》

収容施設へ

《(※彼らは)二枚の紙を読み上げる!「スパイ容疑!」「六〇〇日拘束・居住監視二名がつく……」との事。私がスパイ容疑? 軍事機密を探った事もなければ聞いたこともなく、話せば理解してもらえるはず!
「その紙は私に対してのもの、私にください」と言っても無視される。
「私達は天津国家安全部(※天津市国家安全局)です。あなたをスパイ容疑でいろいろ尋問します。本当のことを事実に基づいて言ってください。中国共産党は本当のことを言って反省すれば、きっと早く良い結果が出ます」から始まり、翌朝四時まで取り調べが……。少し睡眠、七時起床。八時朝食、九時半~昼まで取り調べ、一四時半~一七時まで取り調べ、一九時半~二一時まで取り調べ、二二時か二三時就眠。こんな状況が連日延々と続く。部屋は夜も灯りをつけ二名の監視員と一緒》

 その収容施設が「拘束者専用」であるのは「造りから一目瞭然だった」という。取り調べに際し、「劉さんの場合、銃殺や拘束10年もあり得る」と脅してきた係官からは、弁護人の要不要を問われたが、官選の弁護などは無意味だと思い「要らない」と断った。

 劉氏によると、岡山県華僑華人総会は従来「中國旅行社」事業としてビザ発給業務を行い、1件あたり5000円程度の収入を得てきた。

 しかし、習近平時代に入って以降は、東京、名古屋、大阪のビザ申請センターに集約されるようになり、手数料収入も減少。そんな折、中国江蘇省蘇州市付近にある張家港澳洋医院と協力して、中国の富裕層らに日本の高度な医療サービスを提供する医療ツーリズムの事業展開案が持ち上がっていた。

24時間の監視

 2016年11月の中国訪問は張家港澳洋医院からの招待で、同病院と医療ツアーを実施・展開する上での打ち合わせが目的の1泊2日の出張だったが、劉氏は「この事業の話自体が、私を蘇州に呼び出すために作られた虚構の話だったのではないか」との疑念も抱いている。

 ちなみに男たちが名乗った「天津国家安全部(天津市国家安全局)」は、日本の公安調査庁や警察の外事部門においては対日本情報工作(防諜など)も任務と目されている。

 いずれにせよ劉氏は、突然の拘束で通訳の男性と引き離され、蘇州・天津の収容施設で、居室と取調室を往復する休みない取り調べを受けることとなった。期間中は「カーテンで窓の外は見えず、テレビはもとより新聞、雑誌もない。精神的にも拷問だった」という。

 途中、高速鉄道による天津移送の際は、自身の調べを担当する計26人の係官が取り囲む中、一般乗客の乗車後に専用車両に乗車。施設の出発、到着時を除いて目隠しは外された。車中では駅弁も至急されたが、手をつけなかった。到着駅の構内を歩く際、自身の目で「天津西」の駅名を確認した。

 拘束期間を通じ、男性と女性の担当医師も付いて「毎朝の血圧測定などで健康管理も行われたが、カメラと係官に24時間行動を監視され、就寝時も点灯するから明るくて眠れず、いつも毛布を頭からかぶって寝た」という。

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