菅総理らの言葉はなぜ国民のやる気を奪い続けるのか

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 強力かつ短期間という触れ込みだった3度目の緊急事態宣言が、案の定延期されることになった。

 宣言当初から前2回ほどの効果は見込めないのではないかという予測があったが、それが的中した格好である。

 エビデンスも法的根拠も曖昧なまま、行動に制限をかけられ、商売を邪魔された国民には不満が溜まり続けているのではないだろうか。

 もちろん人流を抑えたいという考えには一定の合理性があるのかもしれない。しかし問題は、政府や自治体からのメッセージが人々の心に届いていないということだ。そもそも「正しいこと」を言えば、人がその通りに動くというのであれば、この世からは犯罪はなくなる。教育で悩む親もいなくなるし、「ドラゴン桜」も1話で完結するに違いない。

“励ましの言葉”が「やる気を奪う言葉がけ」になることも

 緊急事態宣言への世間の反応を見る限り、日本のリーダーとされる人々の言葉には、国民のやる気を起こさせる力が欠けていると言われても仕方がないのではないか。

 正しいことだとわかっていても、それをやり続けられる人ばかりだとは限らない。

 我慢したほうがよいとわかっていても、我慢できない人がいる。

 それを前提に、言葉を発する必要があるのだが、そうした人の心への理解に欠けているのだ。

 70万部超のベストセラーとなった話題の書、『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治・著)の続編、『どうしても頑張れない人たち』には、そんなリーダーたちに重要な示唆を与えている章がある。

「やる気を奪う言葉と間違った方法」(第4章)である。

 著者の宮口氏は、少年刑務所などで問題を抱えた子どもたちの指導にあたってきた。そうした子どもたちの多くは、「頑張らない」のではなくて「頑張れない」という性質を持っていたという。

 こうした子どもたちの教育に携わった経験をもとに、宮口氏は大人と子どもとの間、あるいは会社の中での上司と部下など、一般的なコミュニケーションにおいても注意すべき言葉づかいを紹介している。

 非行少年、勉強ができない子ども、あるいは仕事の壁にぶつかっている部下に人は安易に励ましの言葉をかける。しかしそれは時に相手の「やる気を奪う余計な言葉がけ」になっているというのだ。

 そして、ここで具体例としてあげられているいくつかの言葉は、どこかこのところの総理や都知事の言葉と重なる。(以下、引用はすべて『どうしても頑張れない人たち』から)。

「もっと勉強しなさい」がダメなわけ

 宮口氏が最初にあげたダメな言葉の典型が「もっと勉強しなさい」だ。その理由をこう説く。

「ある著名な英語講師の先生が某新聞の取材の中で、子どもに毎日『もっと勉強しなさい』という母親に対して、『もしあなたが周りから毎日“もっと減量しなさい”と言われ続けたらどう思いますか?』といった趣旨の問いかけをされておられました。そんなことを言われ続けたら、そのうち相手に対して殺意に近いものが芽生えるかもしれません。これで『もっと勉強しなさい』がダメなわけが、お分かり頂けたでしょうか。

 例えば女性がダイエットしようと思う一つのきっかけに、好きな人に好かれたい、モデルになりたい、といった気持ちがあるとします。でもそれは人から言われることではなく、本人が決めることです。他人が言うのは、大きなお世話です。勉強についても同じでしょう。そもそも人から言われてやることではないのです。むしろ親が子どもの手本となり、勉強してお父さんやお母さんのようになりたい、と思わせる方が近道でしょう」

「もっと我慢しなさい」と数々の「自粛」要請を出している側が「手本」となっていないのはすでにご存じの通りであろう。会合をやめよと言い、リモートを推奨している人たちが、なぜか永田町に集い、都庁で対面取材を続けているのだ。

“焦り”が生む「余計な言葉」

 宮口氏はまた、別の「余計な一言」も紹介している。

「もっとできるはずだ」だ。

 期待のあらわれのように受け止められるかもしれないが、この言葉がけにも問題があるそうだ。

「子どもが少し頑張った後に、大人が“やればできるじゃないか。ではもっと伸ばしてやろう”と期待して『もっとできるはずだ。もっと頑張れ』と子どもに声をかけることがあります。子どもは既に限界まで頑張ったのかもしれません。でもさらに『もっとできるはずだ』と言われると、どこまで頑張れば認めてもらえるのか終着点が見えず、不安になってやる気を失うことがあります。

 子どもによっては何でもそつなくこなし、まだまだ余裕があるように見えることがあります。そこで、大人の方はやる気があればいくらでも支援するよといった気持ちを抱くのでしょうが、それは大人の一人合点だったりします。子どもからすれば自分のペースを知って欲しい、自分が何を求めているかを知って欲しい、もっとありのままの自分を見て欲しい、といった気持ちでいっぱいなときもあります。しかし大人は、これまで何でもやれたのだからもっとやりたいのだろうと、思い込んでしまうのです」

 宮口氏によれば、こうした余計な言葉がけをする側の心理には「不安」があるという。

「このままのやり方でいいのだろうか」

「このまま何も言わなくても大丈夫だろうか」

「このまま放っておけば失敗するかもしれない」

「自分が言わないと誰も言ってくれない」

 そんな「思いや焦り」を抱きがちになったときに、「本人のために何とかしなければと考えて、つい余計な言葉をかけてしまう」というのだ。

 このあたりもまた、最近のリーダーの言動と重なるところが多くありそうだ。

 最後に、この章の締めの文章も引用しておこう。

「相手にやる気を出してもらおうとして指導してもあまり手ごたえを感じない場合、本当に相手のことを大切に思って接しているか、ひょっとして相手から嫌われていないか、確かめてみることが大切だと感じます」

デイリー新潮編集部

2021年5月12日掲載

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