菅首相に欠けているものは立場にふさわしい「振る舞い」だ 首相の言葉が響かない理由

国内 社会 2021年1月25日掲載

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政治家にとって言葉は“命”だが…

 発足直後の高支持率はどこへやら、菅内閣の支持率低下に歯止めがかからない。言うまでもなく、新型コロナの感染拡大の影響が大きいが、それに加えて首相の発信力、コミュニケーション能力への厳しい論調も目立つ。

 たとえば昨年12月、単独インタビューを行った「news zero」の有働由美子キャスターは、取材直後の感想として「(国民に)届く言葉はなかった」と述べている。

 裏番組、「news23」の小川彩佳キャスターもインタビューをして同様の感想を抱いたようで、「私たちが今、求める言葉と総理が語る言葉のズレを感じるようなシーンも少なくなかった」とコメント。

 首相は会見のたびにコロナ対策についての意気込みや覚悟のようなものを口にしているものの、それが当人や周辺が思うようには伝わっていない。

 1月18日、年明けの通常国会における施政方針演説の評判も芳しくない。

 翌日の主要各紙の社説を見てみよう。

「首相の覚悟が見えない」(朝日)

「役所が作った文書を棒読みするのではなく、自らの言葉で訴えなければ国民に届かない」(毎日)

「感染症の不安を解消するために今、何をなすべきか、という強い問題意識が感じられなかったのは残念である(略)これでは危機感は伝わるまい」(読売)

「通り一遍の語り掛けとなった印象だ(略)人々の心に響く言葉がほしい。菅首相は自らの演説や会見、答弁の中身に、もっと工夫を凝らすべきだ」(産経)

「必要なのは、危機を乗り越えるために国民から理解と共感が得られるような誠実な態度と言葉だ」(東京)

 日頃は見方が正反対になることも珍しくない各紙がすべて一様に、首相の言葉が国民に響いていない、届いていない点を問題視しているのだ。

 これは「国民のために働く」と繰り返している首相にとっては不本意なことであろう。

菅首相の言葉が響かない理由

 ではなぜ、その言葉は響かないのか。届かないのか。

 言葉を伝えるうえでは、「非言語コミュニケーション」が重要な役割を果たす、と説くのは劇作家、演出家の竹内一郎さんである。『人は見た目が9割』の著者としても知られる竹内さんは、新著『あなたはなぜ誤解されるのか―「私」を演出する技術―』の中で、本気で自分の考えや気持ちを伝えるには、言葉だけでは不十分で、それ以外の要素、たとえば表情、姿勢、抑揚等の「非言語情報」を考慮した「自己プロデュース」の観点が欠かせない、と説いている。

 同書に書かれたポイントを踏まえながら、竹内さんに菅首相に足りない点を聞いてみた。

「政策の是非などは、私の論じるところではないので、あくまでも自己プロデュース、自分自身を演出するやり方についてですが――」

 そう前置きしたうえで、竹内さんが最初に指摘したのは「立場の違い」を意識できていないのでは、という点だ。

「政治家の秘書や、首相の女房役である官房長官の時には、『表情を隠して陰の仕事をする』という立場に自らを置いてもよかったのでしょうが、首相ともなれば、そうはいきません。時に表情や感情をあらわにしないと、温かみに欠けると思われてしまいます」

「振る舞い」は“役割、年齢”に応じて変化が必要

 前出『あなたはなぜ誤解されるのか』には、こんな一文がある。

「自分の振る舞いは、役割に応じて、年齢や立場に応じて、変化させなくてはならない」

 この点で言えば、菅首相がニコニコ動画に出演した際の「ガースーです」という挨拶もまずかった、と竹内さんは言う。

「平時であれば、親しみやすさをネットユーザーにアピールするために、そういう挨拶をすることも、演出としてありえるのかもしれません。

 しかし、感染拡大が懸念されて、国民の多くが期待していた総理像はそういう軽いものではなかった。どっしりと構えながらも、やるべきことをスピーディに実行していく、といった姿だったはずです。軽口を叩いて欲しいとは思っていない。期待されているのは、ガースーでも令和おじさんでもありません。

 一般企業などでも、管理職や社長が妙に若ぶったりすることがありますが、必ずしもそんな姿は求められていない、と考えたほうがいいでしょう。部下が上司に求めるのは、親しみやすさ、軽さとは限りません」

原稿ではなくカメラに視線を

 会見などでの視線の配り方も気になる、という。

「私はさまざまな職場や学校の講習会で、人前で話す際のポイントをアドバイスする機会があります。その際、『視線は会場にいる人、一人一人に送ってください。ゆっくりと一人一人の黒目に目を移しながら話す。会場にいる全員が、発言者から声をかけられた気持ちになることが大事です』と伝えています。

 首相会見の場合は、その場にいる記者全員に目を向けるというよりは、カメラに視線を据えたほうがいいのかもしれません。カメラの向こうにいる国民が、声をかけられたと思えばいいのですから。

 しかし、多くの人が指摘されているように、手元の原稿に目を落とす回数が多すぎるので、カメラを見据えることもできていない。結果として、熱意が伝わりづらくなっています」

聞き手が「だらだら長い」と感じてしまう“棒読み”

 さらに抑揚もポイントだ。

「大学で教えている者の実感ですが、最近は、棒読みでしゃべる若者が増えてきた印象があります。LINEなどでのコミュニケーションが中心になった結果として、話し言葉に必要な『抑揚』が身に付いていないのです。

 棒読みの欠点は、文章の切れ目がわかりにくく、単語と単語のかかわりが、わかりにくいことです。そのため『だらだら長い』と聞き手は思ってしまう。

 菅首相は官房長官の時から一貫して抑揚がない話し方でした。これだと、どこに力点を置いているのかわからない。これも批判される要因の一つでしょう。

 ドラマ『半沢直樹』が人気を呼んだ理由の一つは、出演俳優らの豊かな表情に加えて、抑揚のある、メリハリのきいた発声もありました。実際の政治家があそこまで抑揚をきかせる必要はないにしても、気持ちを伝えるうえではとても重要なポイントです」

 無表情で抑揚に欠ける。熱意が感じられない。見ている側の共感を得ることができない。心を動かせない。目下のところ、現政権で「半沢直樹」に似ているのは、悪代官顔の大物政治家の存在だけ、と言ったら言い過ぎだろうか。

デイリー新潮編集部