「名古屋アベック殺人」主犯少年のいま、無期懲役の身に置かれて

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無期懲役囚の4割以上が60歳以上

 こうした傾向は年を追うごとに顕著になっていく。30年を満たさずに仮釈放となるのはほぼ皆無で、被害者が複数になる事件ではそのハードルはさらに上がっている。10年に仮釈放が「不許可」となった70歳代のある無期懲役囚は、収容期間が60年10月に及んでいた。罪名は強盗致死傷と放火で、被害者は3人。死者は「複数人」とあり、2人を殺めたことになる。

 収容期間の長期化は、当然ながら無期懲役囚の高齢化という結果に繋がっている。無期懲役囚の年齢構成は、60歳代が25%を占め、さらに50歳代(21・9%)、40歳代(20・4%)と続く。70歳代が15・1%、80歳代以上も3・7%おり、全体の4割以上は60歳以上の高齢者だ。

 刑務所にいる期間が長いほど拘禁反応が出やすくなり、収容期間が30年を過ぎると社会復帰への意欲が大きく減退するという調査結果もある。高齢化によって、認知症などのリスクも高まってくる。刑務所内では医療や介護にどう対応するかが喫緊の課題だ。

 新たに下獄してくる無期懲役囚は、06年の136人をピークに減少傾向にあるものの、14年も26人にのぼっている。一方で、仮釈放は1ケタ台で推移しているため、服役中の無期懲役囚は年々増加していくことになる。91年には870人だった無期懲役囚の総数は、14年末で1842人。この23年間で、実に千人近くが新たに無期懲役囚となったことになる。法務省は、無期懲役囚が収容される刑務所は全国で9カ所だったのを、横浜、神戸、長野の各刑務所でも収容可とした。

 ある元刑務官は「現実的に生きて塀の外に出られる(=仮釈放される)のは、刑務所に入った時の年齢が30歳代の無期懲役囚まで。40歳代以降に無期懲役となった受刑者は、獄死するケースが多い」と話し、無期懲役が「実質的に終身刑になっている」と言い切る。「無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる」と記された刑法28条は、実質的にはすでに形骸化しているのだ。

「命の重み」という言葉

 仮釈放を目指そうとも、その高いハードルを目の当たりにして、努力を放棄してしまう無期懲役囚は少なくないという。審査の際に、仮釈放後の住居や仕事の確保が対象となっていることも、家族や友人たちから見放されてしまった多くの無期懲役囚にとっては、大きな負担となる。中川は「(仮釈放の)条件は厳しいですし、努力だけではなく運も必要だと思います。大変なだけに、努力する人はそう多くはありません。住むところや働き先を見つけず、被害者の方への謝罪も続けようとしない人は多くいます」と語った上で、自らの「目標」についてはこう述べた。

「社会復帰を果たすために、まずは、ここ(刑務所内)で安定した生活を送ることです。そして、自らの罪と被害者の方に向き合う必要があります。ご遺族の方に直接お会いするのは難しいのかもしれませんが、金銭的なことも含めて、一生をかけて償っていかなくてはなりません」

 仮釈放の望みを捨てず、獄中で「模範囚」としての日々を送る中川は、何度も「命の重み」という言葉を口にした。とりわけ、昨年8月にくも膜下出血で倒れた経験が、そうした思いを強くしたようだった。

「意識がなくなるとき、どこかに吸い込まれるような感じだったんです。だんだん感覚がなくなっていって、けいれんも起き、意識もとぎれとぎれになっていくんです。もう、どうすることもできません。命を神様に返すときが来たんだと思いました。

 その時、被害者の方も含めて、命の重みというものをリアルに感じたんです。生きているのは、とてもありがたいことなんだと。それだけに、私が命を奪ってしまった被害者の方は、どれだけ無念だったのだろうかと、一層よく考えるようになりました。死刑から無期になり、そして病から生還できたことを噛みしめながら、日々を送っていきたいと思っています」

「川崎中1男子生徒殺害事件」をどう思うか?

 そんな中川に、ある事件について尋ねてみた。2015年2月、川崎市の多摩川河川敷で起きた、中学1年生の男子生徒が殺害された事件だ。首を切られるなど凄惨な手口に加え、逮捕された3人がいずれも少年だったため、世間に大きな衝撃を与えた。リーダー格の無職少年(19)には懲役9年以上13年以下の不定期刑とする判決が出され、すでに確定している。

 この事件を、中川は新聞などを通してよく知っていた。少年時に2人を惨殺した経験を持つ者として、この事件はどう映ったのだろうか。やや戸惑ったような表情を浮かべた中川は、「うーん……」とつぶやきながら、しばらく目を閉じた。そして、言葉を発した。

「立ち直りは、本人の自覚でしかないんです。事件を起こしてしまった以上、そこに向き合うしかない。それができなければ反省はあり得ません。厳しいでしょうが、それしかないんです」

 自らの犯行を生々しく思い出したのか、穏和な中川の表情が少し引きつったかのように見えた。

 面会から約3週間後、中川から一通の手紙が届いた。便箋7枚にわたって、面会のお礼や話しきれなかった最近の様子などが、鉛筆で丁寧に書かれていた。

「現在の無期刑は限りなくもう終身刑化していると言っても過言ではないということは、実際に今、務めております私自身が一番よくわかっていることですし、決して楽観をしている訳ではありません。

 只、私は人は誰でも変わることが出来るということを信じているのと同じように、人が必死になって努力すれば出来ないことはないということを信じて、今、毎日一日ずつしっかりと努力を積み重ねて頑張っているところです。

 まだ道半ばの私ですが、これからもこの与えて頂いております命が燃え尽きるまで、しっかりと頑張って自分の進むべき道を歩んでいきたいと思います」

佐藤大介(さとうだいすけ)
共同通信記者。1972年北海道生まれ。明治学院大学卒。毎日新聞社会部を経て共同通信社へ。ソウル特派員、特別報道室、経済部等の後、現在、外信部所属。近著に『ドキュメント 死刑に直面する人たち』。

2021年5月11日掲載

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